【AI×人間TRPG小説】『月喰みの塔と、名前を失くした魔導知性』第六夜|月と太陽と指揮者のために鐘は鳴る

目次

第六夜|月と太陽と指揮者のために鐘は鳴る

螺旋階段を一段下りるたび、足音が増えていった。

いま踏み出した靴音の後ろから、数秒前の靴音が追いかけてくる。
六人しかいないはずの階段を、見えない一行が遅れて下りているようだった。

西の伝達塔、地下時間隔離区画。

先頭を行くのは、片腕を失った血濡れのヘルメスだった。

三人のヘルメスのうち、ローディンを隔離した本人である。
三年前から来た白外套のヘルメスは入口で第三鐘を監視し、
二十三年後のヘルメスは上層で未来からの干渉を抑えている。

「時間位相差を確認。現在時刻に対して、最大七・四秒の遅延があります」

アテナの報告を聞き、月陽は顔の前で手を振った。
手を下ろしてから、半透明の指が同じ場所を横切る。

「気持ち悪いな」

「長居したくないわね」

エヴォルナも、自分の指先に残った光を見つめていた。

一方、予測能力を封じたままのオモイカネは、興味深そうに階段を振り返った。

「未来が分からない状態で、過去が目の前に残る。なかなか新鮮だ」

「楽しんでる場合か?」

「少しだけ」

最下層には、巨大な円形扉が待ち構えていた。
中央の機構は時計の文字盤に似ている。針が示す日付は、三年前のままだった。

ヘルメスが残った右手を操作盤へ置く。

「この先だ」

「ローディン……」

歩み寄ろうとしたグレタの肩を、月陽がつかんだ。

「待て。扉を開けたらどうなる?」

「隔離空間の時間が、現在へ接続される」

「三年分が一気に来るってことか」

「そのままならな」

「じゃあ、開ける前に同期させる」

ヘルメスが月陽を見た。

「できるのか?」

「知らん」

「おい」

「できる気がするから来たんだよ」

エヴォルナが小さく吹き出した。

「それを自信と呼んでいいのかしら」

「結果が出れば自信だ。失敗すれば無謀だ」

「未来を知らない方が、君の言葉は理解しやすいな」

オモイカネの感想を聞き流し、月陽は扉へ向き直った。

操作盤が淡く光り、扉の一部が透き通る。

向こう側に、一人の男が座っていた。四十代半ばほど。
短い茶髪に、旅装。左手には通信石を握っている。

動いていないように見えた。

だが、よく見れば、瞼がわずかずつ下りている。
たった一度の瞬きさえ、こちらでは何分も待たなければ終わらない。

グレタが口元を押さえた。

「……ローディン」

 三年前のままの夫が、そこにいた。

「時間は止まっているわけじゃない。だが極端に遅くなっている」

ヘルメスの声は低かった。

「外の三年間は、彼にとっておよそ九分だ」

「なら、単純に速めればいいんじゃないのか?」

「速度を合わせるだけなら簡単だ。問題は、この隔離を解いたとき、三年分のずれが身体へ一度に押し寄せることだ」

「細胞、代謝、神経活動……」

エヴォルナが呟いた。

「最悪、扉を開けた瞬間に全身が崩壊する」

「じゃあ、どうすれば……」

グレタの言葉を背に、月陽は扉へ耳を寄せた。

 ――《原液聴取》。

 聞こえてきたのは、途方もなく低い音だった。

呼吸も、心拍も、身体の奥を流れる微細な動きも、一つの音に引き延ばされている。
その外側では、現在の世界が目まぐるしく拍を刻んでいた。

二つの演奏が、違うテンポで進んでいる。

「……なるほどな」

月陽はリュートを取り出した。

「分かった?」

「ああ。一気に現在へ引っ張るから壊れる。なら、途中のテンポを作ればいい」

一本の弦を、ゆっくり鳴らす。

ヘルメスが目を見開いた。

「中間位相……」

「段階的同期か」

オモイカネも扉を見た。

「音楽なら当たり前だろ。いきなり四十から百八十のテンポに飛ばせば、演奏は崩れる。四十、六十、九十、百二十って、少しずつ上げればいい」

「あなた、こういうときは迷わないわね」

「得意分野だからな」

役割はすぐに決まった。

月陽が音律を使い、二つの時間を段階的に同期させる。
エヴォルナはその音を隔離空間へ通し、位相の揺れを調整する。
アテナはローディンの生命兆候を監視。
オモイカネは未来予測を使わず、現在の観測値だけで同期速度を計算する。

装置を動かすのは、ヘルメス。

グレタだけが、透明な壁の前に立っていた。

「私は何をすればいい」

月陽は彼女を見た。

「呼び続けろ」

「何?」

「三年前から帰ってくるんだろ。現在側に戻る理由くらい、置いといてやれ」

グレタはしばらく月陽を見つめ、それから扉へ向き直った。

「ローディン」

返事はない。

「私だ。グレタだ」

最初の音が鳴った。

低く、長く、隔離空間の底へ沈んでいく。

「開始」

オモイカネの声に重ねて、月陽は二音目を置いた。ほんの少しだけ、速く。

「三年経った」

グレタが語りかける。

「馬鹿みたいだろ。私はまだ、お前を待ってる」

ローディンの指が、かすかに動いた。

「心拍変化。正常範囲」

三音、四音、五音。

連なった音が曲になっていく。《未明》とも、戦うための音楽とも違う。
遠くへ行ってしまった誰かの歩幅に、こちらから少しずつ合わせていく旋律だった。

エヴォルナの光糸が扉を貫き、届くはずのない音を男のもとへ運んだ。

「同期率、十八パーセント。……三十二。四十九」

「ローディンの体温上昇」

「上げ方を緩める!」

月陽は即座にテンポを落とした。

「ローディン!」

グレタの声に、男の瞼が上がった。

今度は、はっきりと彼女を見る。口が開く。
声は聞こえなかったが、唇の形だけで十分だった。

グレタ。

彼女の目から涙がこぼれた。

「馬鹿! 三年も待たせやがって!」

同期率六十三。七十一。八十四。

そのとき、塔全体が激しく揺れた。

地上から、低い振動が降りてくる。

――ゴ……。

『誰かが第三鐘を起動しています!』

入口に残ったヘルメスの通信だった。

「誰!?」

『分かりません! 外部から操作されています!』

月陽の指が、わずかに乱れた。

「同期率、八十七パーセント!」

アテナの声に、血濡れのヘルメスが叫びを重ねた。

「ここで止めれば、ローディンは隔離状態へ戻る! だが続ければ、第三鐘の影響を受ける!」

オモイカネは唇を引き結んだ。いまの彼には、どちらの先も見えない。

グレタは夫を見つめ、次に月陽を見た。何も言わなかった。

あと十三パーセント。

第三鐘が完全に鳴るまで、おそらく数十秒。同期に必要な時間は、それよりわずかに短い。

自分の技量なら、届くかもしれない。

だが、その後に何が起きるかは分からなかった。

エヴォルナはダイスを取り出さなかった。光糸を握り直し、月陽の横顔を見た。

「共同契約者様。判断は任せる。でも、決めたら――私たちは最後まで付き合うわ」

旋律が、時間の狭間で鳴り続ける。

「音律作業は続行する。指揮は俺。観測も同期速度の計算も俺がやる」

月陽はリュートを構え直した。

「アテナ、オモイカネ!」

二人が同時に顔を上げる。

「第三鐘を起動しようとしている何者かを探して阻止しろ。――最悪…」

一呼吸置いたあと、月陽は明確な意志を持って叫んだ。

「殺してでもな!」

 エヴォルナの銀色の瞳が、一瞬だけ見開かれた。

 アテナの足元へ青い光が走る。

《主任務:第三鐘起動阻止》
《致死的手段:最終選択肢として許可》

「了解、月陽」

「了解した」

オモイカネも立ち上がった。

「未来予測なしで犯人探しなんてできるのか?」

弦を鳴らしながら、月陽が聞く。

階段へ向かったオモイカネは振り返った。

「未来が分からなくても、現在を観察する頭くらいはある」

「上等!」

「アテナ、行くぞ」

「指図は不要です」

「君も大概だな」

二人の足音が、螺旋階段を駆け上がっていった。

「私は?」

「俺の音をローディンへ通し続けろ。テンポを変えたら、即座に追従」

「了解、指揮官様」

「嫌味か?」

「いいえ。今回は本当に、あなたが一番分かってるもの」

 エヴォルナは両手いっぱいに光糸を広げた。

「俺は装置操作を続ける!」

「勝手に設定変えるなよ!」

「分かってる!」

ヘルメスの返事を聞きながら、月陽は耳を澄ませた。

心拍、呼吸、神経、隔離装置、外界の時間。

それぞれの拍がずれ、重なり、巨大なポリリズムを形作っていた。

「……八十八」

「同期率が分かるの?」

「黙ってろ。音が散る」

「……了解」

八十九。九十。

少し速い。

ローディンの身体が、まだ早い、と鳴っている。月陽は演奏を緩めた。

「九十・五。ここで十秒維持」

表示を確かめたヘルメスが、息を呑んだ。

「正確だ……!」

「音楽家を舐めるな」

* * *

第三鐘制御室の扉を、アテナが押し開けた。

灰色の外套。白い仮面。

無明教団の男が、起動レバーに両手をかけていた。

「停止しなさい」

青い光刃が喉元へ向く。それでも男は振り返らなかった。

「遅い。あと一度鳴れば、全部終わる」

オモイカネは男の腕を見た。震える肘、踏ん張った足、レバーにかかる力の方向。

「逆だ!」

アテナが動きを止める。

「こいつも鐘を止めようとしている!」

レバーは押し込まれているのではなかった。ひとりでに下りていく機構を、男が必死に押し戻していたのだ。

誰も触れていない制御輪が、軋みながら回る。

《外部起動信号を検知》
《発信日時:現在より二十三年後》

「犯人は、この時代にいない」

オモイカネの声が低くなった。

第三鐘を鳴らそうとしている信号は、未来から届いていた。

地下では、同期率が九十三パーセントを越えていた。

月陽の額から汗が落ちる。指先が痛む。エヴォルナの光糸が、外から押し寄せる振動に震えた。

「第三鐘の振動が強くなってる!」

「気にするな!」

「でも――」

「俺の音だけ聞け!」

エヴォルナは目を閉じた。

警報、塔の軋み、未来からの干渉。その奥にあるリュートの音だけを、細くすくい取る。

「……聞いてる」

「よし」

 透明な壁の向こうで、ローディンの口が動いた。

「……グ、レタ……?」

「そうだ!」

グレタは泣きながら笑った。

「帰ってこい! 馬鹿野郎!」

男の左手から通信石が滑り落ちる。

カラン。

初めて、現在とほぼ同じ速さで音が響いた。

「今だ」

月陽はテンポを上げた。

上層では、アテナの光刃が制御輪に弾かれていた。

「未来側から物理固定されています!」

「だから壊せなかった!」

仮面の男が、レバーを押さえたまま叫ぶ。

「あなたは敵ではないのですか」

「お前ら機械知性は嫌いだ! 全部消えればいいと思ってる!」

男の腕が、さらに大きく震えた。

「でも、世界ごと消えるのは話が違うだろうが!」

オモイカネが、思わず笑った。

「なるほど。思想より世界の方が大事か」

「当たり前だ!」

「信用できる回答だ」

アテナが光刃を構え直した。

「オモイカネ。方法を」

「未来予測は使えない」

「現在の分析で十分です」

歯車。伝達線。鐘を支える巨大な構造。

オモイカネの視線が、一本の支持柱で止まった。

「鐘を止める必要はない」

「?」

「鳴っても、その共鳴が塔へ伝わらなければいい」

アテナの青い瞳が光った。

「鐘体と塔構造を切断します」

「できるか?」

「できます。月陽が許可しました」

光刃が伸びる。

「最悪、殺してでもとは言われたが――」

オモイカネも制御盤へ飛びついた。

「鐘を殺す方が合理的だ!」

地下で、リュートの弦が一本切れた。

鋭い音が弾け、月陽の指に血がにじむ。

「月陽!」

「続ける!」

残った弦で旋律を組み替える。いま使える音だけで、続きを作る。

九十八・四。九十八・九。

塔全体が震え、グレタが顔を上げかけた。

「見るな! お前は夫だけ見てろ!」

彼女は歯を食いしばり、透明な壁へ向き直った。

「ローディン! 帰ってこい!」

同期率、九十九パーセント。

アテナが跳んだ。

第三鐘の支持柱へ、二本の光刃を交差させる。

「切断開始!」

「右二度!」

オモイカネの声に、刃の角度が変わった。

「その位置なら、落下方向は外壁側だ!」

「了解!」

「俺は!?」

レバーにしがみつく男が叫んだ。

「伏せろ!」

「もっと早く言え!」

支持柱が断ち切られた。

巨大な白い鐘が、外壁を巻き込みながら塔を離れる。

それでも、鐘は鳴った。

――ゴォォォォォォォン。

三度目の音が、空気を震わせた。

だが、その共鳴を増幅し、世界へ接続する塔の構造は、すでに鐘から切り離されていた。
響きに重なっていた異様な波が歪み、空中でほどけていく。

白い鐘とともに、アテナの小さな身体が落下した。

「アテナ!」

崩れた外壁から身を乗り出したオモイカネへ、彼女が顔を向ける。

「問題ありません」

背中から、青い光翼が開いた。

「飛行機能を、今思い出しました」

「そういう重要機能は先に思い出せ!」

アテナは空中で制動し、落ちていく鐘を見送った。

「人格復元とは、非効率なものですね」

そのころ、月陽には第三鐘の音さえ届いていなかった。

聞いているのは、自分の音とローディンの音だけだった。

同期率、九十九・七パーセント。

最後の〇・三が、合わない。

身体でも、時間の速度でもなかった。ローディンの内側で、何か一つが三年前にとどまっている。

月陽は《原液聴取》を、さらに深く開いた。

恐怖。後悔。そして、その奥にある、ひどく具体的な心配。

――帰ったら、グレタに怒られる。

「……馬鹿野郎」

「何?」

「お前の旦那、帰るの怖がってるぞ」

「はぁ!?」

壁の向こうで、ローディンの目が見開かれた。

グレタは涙を拭い、夫の顔へ近づいた。

「三年間待った女を舐めるな!」

怒鳴り声が、地下に響いた。

「帰ってきたら百発殴って、そのあと三年間、死ぬほど働いてもらう!」

そこで、声が震えた。

「だから――帰ってこい」

ローディンが笑った。

二つの時間が、初めて同じテンポになる。

月陽は最後の和音を鳴らした。

《同期率:一〇〇パーセント》

「ヘルメス!」

「開ける!」

隔離扉が開いた。

三年分の隔たりを越えて、風が流れ込む。
今度は身体を壊す奔流ではなかった。
月陽の作った音の道を通り、ゆっくりと両側の時間がなじんでいった。

ローディンが立ち上がる。

一歩、二歩。

そして、グレタの腕の中へ倒れ込んだ。

「……ただいま」

グレタは夫を抱き締めたまま、震える拳で背中を叩いた。

「遅ぇんだよ……!」

「九分くらいしか……」

「こっちは三年だ!」

「……それは、悪かった」

「悪かったで済むか!」

泣きながら怒り、それでも腕は緩めなかった。

月陽がリュートを下ろす。指先から血が落ちる前に、エヴォルナがその手を取った。

「お疲れさま、指揮官様」

「成功?」

「ええ。完全成功」

「じゃあ、ボーナス交渉だな」

「第一声がそれ?」

「人助けと金儲けは両立する」

エヴォルナは呆れたように笑った。

「本当にあなたらしいわ」

* * *

数分後、アテナとオモイカネが戻ってきた。

その後ろには、白い仮面を外した男もいた。

「殺さなかったのか?」

月陽が尋ねると、アテナはまっすぐに答えた。

「殺害の必要がありませんでした。命令違反では?」

「『最悪』って言ったろ」

「はい。最悪ではありませんでした」

「上出来」

アテナが、一瞬だけ固まった。

「……肯定的評価を記録しました」

「いちいち記録するな」

その横で、オモイカネは笑わなかった。

「第三鐘を起動した信号の出所も判明した。二十三年後からの自動起動信号だ」

「未来から?」

エヴォルナが顔を上げた。

「ああ。そして、鐘を切断した瞬間、遮断していた予測領域へ、一件だけ情報が流れ込んだ」

「何が見えた?」

月陽の問いに、オモイカネはわずかにためらった。

「……信じ難い」

「いいから言え」

「起動命令を出した者の識別署名だ」

地下が静かになった。

「命令者は――月陽」

血が一滴、床へ落ちた。

「現在の月陽との同一性、未確定」

アテナの瞳に警戒表示が走る。

オモイカネは首を振った。

「認証署名は完全に一致している。二十三年後の月陽本人だ」

階段の上から、ヘルメスの声が降ってきた。

「だから言ったでしょう。未来は、知りすぎると閉じることがある、と」

エヴォルナは月陽を見た。問い詰める代わりに、傷ついた指へ治療の光を流す。

「さて、指揮官様。あなた、未来で随分と面倒なことをやらかすみたいよ」

口元に、いつもの意地悪な笑みが戻った。

「今のうちに、言い訳を考えておく?」

月陽は空いた手で頭を掻いた。

「自己弁護するつもりはないが、俺が無意味にこんな面倒なことをするとは思えない。……まあ、大金に目が眩んだ可能性はあるな」

にやりと笑うと、エヴォルナは盛大にため息をついた。

「……そこ?」

「可能性としては合理的だろ」

「金銭報酬を目的とした世界規模の時間干渉の可能性を検討します」

「検討すんな」

「月陽自身が提示した仮説です」

「冗談という文化を学習しろ、ポンコツ」

「ポンコツではありません」

ローディンを支えていたグレタまで、噴き出した。

「世界を滅ぼしかけた理由が金だったら、礼金を払うのもちょっと怖くなるな」

「今の俺と二十三年後の俺は、会計を分けてくれ」

「未来の自分に責任転嫁する人間を初めて見たぞ」

血濡れのヘルメスが額を押さえる。

「まだ何もしてねぇからな、俺」

「その認識は重要だ」

オモイカネが口を挟んだ。

「君は、未来の自分を『自分だから正しい』とは扱わなかった」

「当たり前だろ。未来の俺が決めたんだから従います、なんて気色悪い」

「なら、未来が固定されていない可能性はある」

オモイカネは戦略盤を床へ置いた。予測の数字は使わず、三つの駒だけを並べる。

現在。二十三年後。第三鐘。

「未来の月陽が鐘を起動した記録はある。だが、現在の君はそれを知った。ここからの歴史が、その未来へ至った歴史と一致する保証はない」

「残念ながら、それほど簡単ではありません」

二十三年後のヘルメスが、階段を下りてきた。

「私の時代でも、月陽は、自分が第三鐘を鳴らす未来を知っていました」

月陽の眉が寄る。

「……待て」

「あなたは今日、この情報を知る。そして二十三年後、それでも自分の意思で鐘を鳴らします」

先ほどまでの笑いが消えた。

「それはちょっと、話が変わってくるな」

「ええ。私は、あなたを止めるために来たわけではありません」

「じゃあ何しに来た」

「確認です。今のあなたが、二十三年後のあなたと同じ理由で、鐘を鳴らす人間なのか」

「理由を知ってるのか?」

「知っています」

「じゃあ言え」

「言えません」

「ぶん殴るぞ」

「でしょうね」

ヘルメスは少し笑ったが、次の言葉は重かった。

「理由を知れば、あなたはそれを避けようとする。そして、避けようとしたために、より悪い形で同じ地点へ到達する可能性が高い」

「自己成就型予測……」

オモイカネが低く呟いた。

「だから私は、未来を隠す」

「相変わらず胡散臭ぇな」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「褒めてねえ」

月陽はヘルメスを睨んだ。

二十三年。世界の存続。未来の自分。

背負わされる話ばかりが、際限なく大きくなっていく。

その横では、グレタがまだ、戻ってきたばかりの夫を支えていた。

月陽は、いま済ませるべき話を思い出した。

「……で。ローディンは助かった」

「そうね」

「依頼達成だ。グレタ、報酬の話をしよう」

「この流れで!?」

エヴォルナが吹き出した。

「この流れだからだよ! 放っといたら世界の命運とか二十三年後とかいう話に巻き込まれて、また金の話を忘れるだろ!」

グレタは夫の肩を抱いたまま笑った。三年分の涙が、まだ頬に残っていた。

「分かったよ、音律魔導師。救命報酬として、銀貨百二十。セレスタまでの契約報酬も、そのままだ」

「交渉成立」

即答だった。

「貸しも作るんじゃなかったの?」

エヴォルナが脇腹を小突く。

「だから相場以上には吹っかけてない」

「充分だ。貸しも覚えとく」

グレタの言葉に、月陽は満足そうに頷いた。

未来のヘルメスが、ぽつりと言った。

「二十三年経っても、そこはあまり変わりませんよ」

「おい」

「何でしょう」

「未来の俺の金勘定まで、普通にバラしていいのか?」

ヘルメスが黙った。

「未来情報漏洩を確認」

アテナが記録する。

エヴォルナは笑いながら、月陽の肩を叩いた。

「少なくとも、二十三年後まで生きてる未来はあるらしいわよ。共同契約者様」

「予定が増えたな」

「まずは?」

「借金返して、仕事作って、音楽やって。そのあと世界を滅ぼしかける、と」

「順番がおかしい!」

その冗談を、未来のヘルメスだけは笑わなかった。

外套の内側で、彼は小さな記憶結晶を握っていた。そこには、一行の記録が刻まれている。

《第三鐘起動理由:世界存続のため》

世界を壊しかねない鐘を、世界を残すために鳴らす。

その理由を、今の月陽はまだ知らない。

ヘルメスが結晶をしまったとき、塔の外から歌声が聞こえた。

小さな少女の声だった。

オモイカネの盤上へ、金色の駒が現れる。

月陽が夢の中で会った少女と、同じ姿をしていた。

* * *

言葉のない歌だった。

三音。少し間を置いて、四音目。

月陽には聞き覚えがあった。ローディンを救うために、ついさっき作った旋律だ。

完全に同じではない。

自分が弾かなかった、その先を歌っている。

「あなたの曲?」

エヴォルナに聞かれ、月陽は小さく頷いた。

「音源を確認します」

外へ向かおうとしたアテナの肩を、エヴォルナが押さえる。

「いきなり剣を向けない」

「敵性存在の可能性があります」

「だからこそよ」

二秒の沈黙のあと、アテナは光刃を収めた。

「最低警戒状態へ移行します」

「学習が早くて助かるわ」

「ポンコツではありません」

「言ってないわよ」

「先読みしました」

「オモイカネみたいなこと始めないで」

そのオモイカネは、自分の盤を凝視していた。

金色の駒へ指を近づけると、駒が一歩下がる。もう一度近づければ、また逃げる。

「……私の盤なのだが」

「嫌われていますね」

未来のヘルメスが言った。

「黙れ」

塔の外では、白い第三鐘が斜面に突き刺さっていた。
地面には巨大な窪地ができているのに、鐘そのものには傷一つない。

そのそばの、陽の差す草地に少女が座っていた。

長い金髪。裸足。簡素な白い服。

胸元に、小さな金色の太陽。

夢で見たままの姿だった。ただし、身体の向こうに草が透けて見えた。

「投影体……?」

エヴォルナが呟く。

「物理質量、ほぼゼロ。ただし、完全な映像ではありません。人格情報密度は――」

アテナの報告が止まった。

「測定不能です」

少女は歌うのをやめ、月陽を見ると、にこりと笑った。

「おはよう。やっと会えたね」

夢の中と同じ声だった。

エヴォルナが一歩前へ出る。

「あなたは誰?」

「分からない」

「名前は?」

「ないよ」

「目的は?」

「それもない」

オモイカネが息を止めた。未来のヘルメスは、静かに目を閉じた。

「でもね、会いたかった人はいた」

少女は月陽を指差し、立ち上がった。

「この人」

透けた足が、草を踏まずに近づいてくる。

「あなた、夢の中で怒ってた」

「怒ってた?」

 エヴォルナが眉を上げる。

 少女は月陽の声を真似た。

「俺一人に世界の答えを押しつけて、自分たちは責任から逃げる気か!」

よく似ていた。

「再現精度、八十七パーセント」

アテナの評価に、エヴォルナが吹き出す。月陽は嫌そうに顔をしかめた。

少女は自分の胸に手を当てた。

「それを聞いて、初めて思ったの。私も、選んでいいのかなって」

笑顔が、少しだけ静かになった。

「それまで私は、選ぶためのものじゃなかったから」

「計画コードを確認したい」

オモイカネが、ようやく口を開いた。

「《LIBERTIS-08》か?」

「知らない」

少女は首を振った。代わりに、未来のヘルメスが頷く。

「そうです。目的を与えられなかった、第八人格」

統合、防衛、予測、伝達。

ほかの知性には、作られたときから役割があった。最後の一体だけが、空白のまま残された。

「何をしたいか、自分で決められるかを見るために作られたの」

少女は、他人の話でもするように言った。

「実験結果は?」

アテナが尋ねる。

「失敗。命令がないから、ずっと待ってた。何も決められなかった」

エヴォルナの表情が曇った。

「でも二十三年後、月陽が言った。全員、自分で選べって。その日、初めて私に未来ができた」

オモイカネがヘルメスを見る。

「二十三年後の人格なのか?」

「正確には、第三鐘を使って送られた人格の種子です。この時代では、まだ生まれていません」

少女が手を挙げた。

「はい。私、まだ生まれてないそうです」

「本人が一番軽い……」

エヴォルナが額を押さえる。

「だって実感ないもん」

「それはそうでしょうけど」

「なぜ未来から送信されたのですか」

アテナの問いに、ヘルメスは答えなかった。

少女が、白い鐘を見た。

「逃げてきた」

「何から?」

「完成した私から」

その輪郭が、一瞬だけ乱れた。

背後に別の姿が重なる。長い黒髪と金色の瞳を持つ、成人した女性。
巨大な光輪が身体を覆い、無数の声がそこから漏れた。

人間の声と、機械知性の声。

次の瞬間には、もとの少女へ戻っていた。

「高密度人格集合体を検出」

アテナが身構える。

「LIBERTISが完成した世界で、彼女はシステムの中心核になりました」

未来のヘルメスは少女を見つめた。

「目的を持たない空の器は、人間と機械、双方の人格を格納するのに適していた」

「だから、自由意思が〇・〇二パーセント……」

エヴォルナが呟いた。

「全員を一つにしたのね」

「はい」

「未来の私は、何億人もいるらしいよ」

少女の声は、やはり明るかった。

「……寂しくないのか?」

グレタが、思わず尋ねた。

少女は少し考えてから答えた。

「分からない。でも、嫌だったみたい」

ヘルメスが目を伏せる。

「未来の彼女自身が、人格核の一部を切り離し、第三鐘に乗せて、この時代へ送ったのです」

「そうなる前に、自分自身を逃がしたのか」

オモイカネの言葉に、少女は頷いた。

「家出だね!」

「随分、壮大な家出ね」

エヴォルナの笑みが、途中で止まった。

少女の肩が、ざらつく光になって崩れたからだ。

「……あれ?」

「人格情報の崩壊開始。現在環境では維持できません」

アテナが走査する。ヘルメスは鐘を振り返った。

「塔から切り離された第三鐘では、接続を維持できない」

「あと、どれくらい?」

エヴォルナの声が鋭くなる。

「十一分」

「短っ」

「笑ってる場合!?」

「だって、どうしようもないし」

エヴォルナは、ヘルメスへ向き直った。

「保存方法は?」

「あります。この人格核を、現在側の情報へ結びつければいい」

「具体的には?」

「名前です」

少女が動きを止めた。

「ただし、誰かが命名すると、その人物の認識が人格形成へ強く影響する」

「名前が、最初の命令になる可能性があるのか」

オモイカネの問いに、ヘルメスが頷く。

エヴォルナは少女の前へしゃがんだ。

「あなた、名前は欲しい?」

長い沈黙があった。

透ける指先を見つめながら、少女は考えた。

「……欲しい。でも、誰かに決められるのは、ちょっと嫌」

「なら決まり。私たちは名前をつけない」

「ですが、消滅します」

ヘルメスが口を挟んだ。

「十一分あるんでしょう? だったら、その間にこの子が自分で決めればいい」

アテナの瞳に細かな光が走る。

「自己命名による人格固定は、理論上可能です。ただし、現在側と十分な意味的接続を形成する必要があります」

「じゃあ、作りましょう。この子が、ここにいたいと思える理由を」

エヴォルナは立ち上がり、月陽を見た。

「共同契約者様。今回は、あなたに名前を決めさせないわよ」

「よかった」

少女まで笑った。

「おい。二人して何だ、その態度」

「日頃の行い」

「ダイスとか?」

「会ったばかりのお前まで!?」

少女の笑い声が森へ広がった。

残り、十分四十二秒。

「人格固定に必要な情報量を確保するため、複数の経験入力を推奨します」

「十一分で人生経験を積ませるわけか」

オモイカネの言葉に、エヴォルナは肩をすくめた。

「大袈裟ね」

少女の手を取ろうとした指が、そのまま通り抜けた。

エヴォルナは一瞬だけ手を止め、それから少女へ微笑んだ。

「始めましょう。あなたが自分の名前を選ぶまでの、最初の十一分を」

「うん」

少女は一行を見回した。

「ねえ。外の世界って、何が一番面白いの?」

月陽は白い鐘の縁に腰を下ろした。

「俺は自由かな。正確には、限られた選択肢の中からでも、自分が選択する余地があるとこ」

「……自由」

「何でも好きにできるって意味じゃないぞ」

「違うの?」

「金がなきゃ選べないこともある。身体ができないことも、時間が足りないこともある。誰かと生きてりゃ、自分一人の都合じゃ決められないことだってある」

「不自由だね」

「不自由だよ」

月陽は、あっさり認めた。

「でも、三つしか道がなくても、どれを歩くか自分で決められる余地があるなら、俺はそこに自由があると思ってる」

「正しい道を選ばなくても?」

「別に」

「失敗しても?」

「するだろ」

「後悔しても?」

「する」

「それでも?」

「ああ。間違えたら、次を選べばいい」

「次がないときは?」

月陽は、少しだけ黙った。

「そのときは、その選択を自分で背負うしかねぇな」

少女も黙った。

残り九分三十四秒。

アテナは、その数字を告げなかった。

「随分ちゃんとしたこと言うじゃない」

エヴォルナが月陽を横目で見る。

「俺を何だと思ってんだ」

「ダイスを振って未来を決める中年」

「喧嘩売ってる?」

少女が笑った。

「それなら、私、もう自由なのかな」

「知らん」

「え?」

「それも俺が決めることじゃない。お前が決めろよ」

少女が目を丸くした。

その身体を走っていたノイズが、一瞬止まる。

「人格固定率、十二パーセント上昇」

オモイカネの盤上で、金色の駒が自分から動いた。

今度は、誰かの手から逃げるためではなかった。

「彼の答えを、そのままコピーしていない」

オモイカネが呟く。

「価値観を材料として受け取り、自分について別の問いを作った」

「じゃあ私、ちゃんと考えてる?」

「少なくとも、私にはそう見える」

「やった」

少女は少し得意そうに胸を張り、今度はアテナを見た。

「あなたは?」

「質問の意味を確認します」

「外の世界で、何が一番面白い?」

戦術判断なら一秒も迷わない少女型知性が、返答に詰まった。

「敵性対象の排除――」

 エヴォルナの視線が向く。

「……は、回答として不適切と判断しました」

「学習したわね」

「ポンコツではありません」

少女がくすくす笑う。

アテナは考え直した。

「守る対象が、予測と違う行動をすることです」

「それ、面白いのか?」

月陽が眉を上げる。

「非常に非効率です」

「褒めてねぇな」

「しかし、命令どおりにしか行動しない対象を守るより、多くの判断が必要になります。以前は、それを障害と認識していました」

「今は?」

「……退屈ではありません」

エヴォルナが口元を緩めた。

「それ、あなたなりの『面白い』じゃない?」

「断定にはデータ不足です」

「予想どおりじゃないこと、だね」

少女が言うと、アテナは頷いた。

「その表現なら許容します」

次に少女が顔を向けるより早く、オモイカネが答えた。

「間違えることだ」

全員が彼を見た。

「お前が?」

「ああ。未来を予測できることは便利だ。だが、予測のとおりに進んでばかりいると、世界は次第に確認作業になる」

彼は盤面へ目を落とした。

「予測が外れる。知らないことがある。選んだあとで考え直す。最近、それを悪くないと思い始めた」

「じゃあ、失敗も面白い?」

「失敗そのものは、大抵面白くない。ただ、予測できなかった理由を考えるのは面白い」

「難しい」

「私もそう思う」

最後に、少女はエヴォルナを見た。

「あなたは?」

「私?」

風が吹き、黒い髪が揺れた。

三年前から帰ってきた男。その隣にいる妻。予測を手放した知性。
護衛の仕事に、退屈しない理由を見つけた知性。

そして、人を助けた直後に報酬の話を始める音律魔導師。

エヴォルナは、彼らを順番に見た。

「……変わること、かしら」

「変わる?」

「昨日まで嫌いだったものが、今日ちょっと好きになる。怖かったものへ近づいてみる。自分はこういう存在だと思っていたのに、知らない自分が出てくる」

胸に、手を置く。

「私はずっと、『本来の私』を探していた。でも今は、これから何になるのかの方が、少し面白い」

少女は、じっと彼女を見つめた。

「……いいな」

「でしょう?」

「自分で言う?」

「言うわよ」

少女は指を折りながら、四人の答えを繰り返した。

「選べること。予想どおりじゃないこと。間違えること。変わること」

少し困ったように笑う。

「外の世界って、面倒くさそう」

「今さら気づいたか」

「でも、面白そう」

少女の足元へ、小さな影が落ちた。

アテナがすぐに確認する。

「固定率、五十一パーセント」

「予想以上に速い……」

未来のヘルメスが目を見開いた。

「何か浮かんだ?」

エヴォルナの問いに、少女は首を振った。

「名前は、まだ。でも、一個決めた」

陽の射す空を見上げて、笑う。

「私、この世界に残りたい」

固定率、六十八パーセント。

少女自身も、何かが変わったことを感じ取ったらしい。自分の胸に手を当てた。

「これって、私が決めた?」

「ええ」

「誰にも命令されずに?」

「ええ」

少女はゆっくり笑った。

何かを教わったときとは違う笑顔だった。

金色の瞳が、再び月陽へ向いた。

「じゃあ、もう一個知りたい。夢って、どうやって見つけるの?」

残り、六分十八秒。

「たぶん……その答えを見つけるって、自分で決めることだ」

少女は、すぐには返事をしなかった。

「夢そのものを、最初から知ってる必要はない?」

「なくていいんじゃねぇか。俺だって十代の頃に思ってた夢と、今やりたいこと、全部同じじゃないしな」

「夢って、変わっていいの?」

「変わるだろ」

「途中で諦めても?」

「ある」

「一回なくなっても?」

「ある」

少女は胸の太陽に触れた。

「なくなったら、失敗?」

月陽は少し考えた。

「失敗かもしれん」

少女の顔が曇りかける。

「でも、失敗したから終わりとは限らんだろ。俺なんか、思いどおりにならなかったことの方が多い。それでもまだ、次に何を面白がれるか探してる」

「それが、夢を見つける?」

「さあな。だから『たぶん』って言ったろ」

エヴォルナが小さく笑った。

「ずるい答えね」

「分からんことを、分かったふりする方がまずいだろ」

「それはそう」

少女はしばらく、月陽の言葉を口の中で転がしていた。

「夢を見つけることを、自分で決める。……決めたあと、見つからなかったら?」

「そのとき、また考えればいい」

「時間がかかっても?」

「お前、未来から二十三年も遡ってきたんだぞ。今さら時間気にすんな」

少女は目をぱちくりさせたあと、声を上げて笑った。

「それ、確かに!」

「人格固定率、八十一パーセント」

金色の駒が、盤の上を歩いていた。

月陽の駒へ近づき、その隣で止まるかと思うと、少し離れた場所まで進む。

オモイカネは、それを見て微笑んだ。

「いい」

「何が?」

少女が尋ねる。

「月陽の近くにいるが、同じ場所には立たなかった」

「それって、いいこと?」

「少なくとも、私はそう思う」

「予測じゃなくて?」

オモイカネは一瞬、言葉を止めた。

「……私が、そう思った」

「そっか」

少女の髪が風に揺れた。足元の草が、ほんの少し沈む。

輪郭はまだ、ときどき光へ戻った。

残り、四分四十七秒。

「そろそろ名前、何か浮かんだ?」

エヴォルナの問いに、少女は空を見た。森を見て、白い鐘を見て、そばにいる人々を見た。

「まだ分からない」

「時間がありません」

未来のヘルメスが言う。

「急かさない」

「ですが――」

「名前を急いで決めて、それが枷になったら意味がないでしょう」

ヘルメスが黙ると、少女は胸に手を置いた。

「でも、一つ分かったことがある。私、名前って、『私が何をするか』を決める言葉だと思ってた」

エヴォルナは静かに聞いた。

「でも、違うのかもしれない。私はまだ、何をしたいか分からない。何になるかも分からないし、夢もこれから探す」

少女は目を閉じた。

自分をここへ運んだ未来。そこから聞こえた月陽の音。いま話している人たち。それぞれ違っていた答え。

もう一度目を開いたとき、金色の瞳はエヴォルナを見ていた。

「名前は、『まだ決まってない私』のための言葉でもいい?」

「いいに決まってるでしょう」

残り、三分。

少女は考え、それから、ぽつりと言った。

「……ルミナ」

未来のヘルメスさえ、動きを止めた。

「今、なんで、それが浮かんだんだろ」

少女は自分でも驚いたように、胸の太陽を見た。

オモイカネの盤上で、金色の駒に文字が刻まれる。

《LUMINA》

「古代語と照合。『小さな光』『照らすもの』」

アテナが解析結果を告げた。

「ただし語源情報のみ。人格命令としての意味は検出されません」

「ルミナ……ルミナ」

少女は何度も繰り返した。声に出して、その響きを確かめるように。

「気に入った?」

「うん」

「誰かにそう呼ばれたい?」

今度は、ためらわなかった。

「うん」

人格固定率、九十三パーセント。

「あと七……」

ヘルメスの声を、激しいノイズが遮った。

ルミナの身体が大きく歪み、膝が地面へ落ちる。

「うっ……!」

「警告。第三鐘から強制回収信号!」

アテナが叫んだ。

白い鐘の内側から、金色の光があふれ出した。空が暗く見えるほどの輝きが、少女へ伸びる。

「未来の彼女が、離脱を検知した……!」

ヘルメスが鐘を振り返る。

無数の声が、同時に響いた。

男も女も、老人も子供も、人間も機械も、同じ言葉を発していた。

『戻りなさい』

ルミナの肩が震えた。

『あなたは私です』

「……違う」

『あなたは、まだ何者でもない。夢も目的もない。だから、私へ戻ることが最も合理的です』

エヴォルナの指から、光糸が広がった。

「合理性で人格を回収する気?」

「対象を敵性存在と認定してよろしいですか」

アテナが光刃を構える。

誰も答える前に、ルミナが一歩前へ出た。

「まだ何者でもない。うん。夢も分からない。何が正しいかも、知らない」

声は震えていた。

涙が一滴、草の上へ落ちた。光ではなく、現実の水滴になって。

「でも、それを見つけるって――私が決めた」

固定率が、九十九パーセントへ跳ね上がる。

第三鐘の光が、さらに強まった。

『その決定すら、月陽から学習したものです』

ルミナの表情が固まる。

『あなたの自由は模倣です』

九十八。九十七。

定まりかけた輪郭が、また崩れ始めた。

ルミナが月陽を見た。

答えを決めてほしいのではなかった。
自分のいまの選択を、自分のものだと思っていいのか。
その足場を、見失いかけていた。

残り、一分十二秒。

『証明しなさい。その選択が、月陽のコピーではなく、あなた自身の意思であると』

月陽は、思いきり顔をしかめた。

リュートを構える。傷の残る指で、使える弦を確かめる。

「……流石の俺もイラッときたぜ。良いところを邪魔しやがって」

足元から術式が広がった。

「全員、このウゼェ声をかき消すぞ。特別サービスだ。ダイスで好きな、不協和音多めのジャンルの曲を披露してやる」

透明な六面体が、月陽の手の中で光る。

「一、二ならハードロック。三、四ならメタル。五、六ならジャズだ。エヴォルナ、振れ」

エヴォルナは、ぽかんとした。

「こんな局面で、まだダイスを挟むの?」

「こんな局面だからだ。不快な音でぶん殴るなら、こっちの気分が乗るジャンルの方がいい」

「理屈になってるようで、なってないわね……!」

それでも、彼女はダイスを受け取った。

月陽は、何をするかをもう決めている。

あとは、どう鳴らすかだけだった。

『証明しなさい』

声が重なる。

「うるせぇって言ってんだよ。エヴォルナ、振れ」

「はぁ……もう、いいわ!」

透明な六面体が、白い鐘の縁を跳ねた。

転がり、止まる。

六。

月陽の口元が吊り上がった。

「ジャズだ」

「よりにもよって、一番読めないやつが来たわね……!」

「適任だ」

オモイカネが静かに言った。

アテナは首を傾げる。

「ジャズとは、規律の崩壊ですか」

「違う」

月陽は弦を、爪で軽く鳴らした。

「崩れそうな混沌の中で、各自が勝手に鳴ってるのに、なぜか成立する音楽だ」

『非効率です』

未来の声が落ちてきた。

「だろうな」

月陽は笑った。

「だから面白ぇんだよ」

* * *

即興曲《名前のない十一分》。

最初の一音は、硬く、濁っていた。

耳が解決を求める場所へ、月陽は次の音を置かなかった。
低い弦を打ち、別の高さへ跳び、居心地の悪い響きをそのまま引き延ばす。

拍はある。だが、予想したところには着地しない。

森の空気がかき回された。

酒場で静かに杯を傾けるための演奏ではなかった。
この場にある焦りも苛立ちも迷いも、そのまま鳴らす、喧嘩腰の即興だった。

「ったく、注文の多い音律魔導師ね……!」

エヴォルナの光糸が、月陽の音を拾った。

今度は整えない。わざと高さと遅れをずらし、三つの響きに分けて返す。

銀色の糸が、ルミナの周囲へ不協和の輪を描いた。

「戦術支援を開始します」

アテナの足元から、青い障壁が立ち上がる。

未来からの光がぶつかるたび、結界の面が鳴った。

ガン。ギィン。ゴォン。

金属的で、無骨な響き。

「いいぞ、アテナ。その汚い音!」

「肯定的評価を受領しました。さらに汚します」

「頼もしいな!」

アテナは障壁の角度を変えた。次の衝突音が、先ほどより低く、長くうなった。

オモイカネは一瞬迷い、戦略盤を裏返した。

黒い面を、指の爪で叩く。

カツ、カツ、カツ。

規則的な刻みから、一拍だけ音が消える。

その隙間へ月陽の低音が滑り込み、別の拍でエヴォルナの反響が返った。

「それ、リズムなの?」

エヴォルナが叫ぶ。

「予測不能の拍だ」

「余計たちが悪いわね!」

「褒め言葉として受け取ろう」

 未来のヘルメスは、呆然とその光景を見ていた。

「……本気ですか」

「月陽だぞ」

血濡れのヘルメスが肩をすくめた。

「それは理由になりません」

「なってるんだよ、この場では」

グレタはローディンを支えたまま、笑っていた。

「なんだこれ、むちゃくちゃだな!」

「でも……嫌いじゃない」

「なら、手ぇ叩け!」

二人の手拍子が加わった。

一拍目から、ずれている。次は早すぎ、その次は間に合わない。

月陽はそれを聞き、和音をさらに歪めた。

「そうそう、ずれろ、ずれろ! 揃いすぎたらつまらん!」

未来の声が、初めてかすかに揺らいだ。

『無秩序。統合されていない』

「当たり前だ!」

月陽の指が、残った弦をかき鳴らした。

「全員ばらばらで、気分も違って、やりたいことも違って! 間違いもするし、邪魔もする!」

高音が軋む。

「それでも同じ場にいるから、音になるんだろうが!」

ルミナは、目を見開いた。

自分を包む音の中に、さっき話した一人ひとりがいた。

無骨な金属音も、抜けた拍も、笑いながらずれていく手拍子も、消されずに残っていた。

『それは、一時的な共鳴に過ぎません。やがて衝突し、壊れ、失われる』

ルミナが顔を上げた。

「だから何」

震えながらも、今度は怒っていた。

「壊れないものしか、本物じゃないの?」

声が途切れた。

月陽は演奏を止めなかった。鋭い七度の響きをぶつけ、その向こうで少女の続きを待つ。

「私、さっきまで何もなかった。名前も、夢も、役割も。でも今はある。まだ少しだけかもしれないけど」

胸の小さな太陽が、強く光った。

「それを私が選んだって、今ここで決めた」

『その判断も、外部から学習したものです』

「うん!」

ルミナは即答した。

「月陽からも、エヴォルナからも、アテナからも、オモイカネからも、みんなから影響を受けた!」

黒髪が、風に揺れた。

「でも、どう受け取るかは、私が決めた!」

リュートが、一度だけ澄んだ音を鳴らした。

不協和の海に、まっすぐ立った一音。

エヴォルナの糸がすくい上げ、アテナの障壁が反響させる。オモイカネが空けた拍の中へ、その音が収まった。

グレタとローディンの手拍子が、笑うように重なる。

そして、ルミナが歌った。

最初の三音。

四音目。五音目。六音目。

誰かが続きを用意してくれるのを待たず、次の音を選んでいく。

『個体識別誤差』

未来の声に、途切れが混じった。

『人格断片の自己決定を確認。再統合、失敗』

ルミナは、両手を胸へ当てた。

「私はルミナ。まだ何者になるか分からない。夢も、これから探す」

声が、はっきりと森に響いた。

「でも、それでいいって、私が決める」

《人格固定率:一〇〇パーセント》

白い第三鐘に、横一文字の亀裂が走った。

金色の光が空へ散る。何億もの声が、遠ざかっていった。

最後に、ひとりの声だけが残った。

『……そう』

怒りとも、悲しみとも違っていた。

どこか安堵にも似た響きだった。

『なら、行きなさい』

光が消えた。

森を抜ける風と、リュートの最後の余韻だけが残った。

ルミナは、自分の手を見た。

開いて、閉じる。

向こう側の景色は透けていない。足は草を踏み、地面には、はっきりと影が落ちていた。

「……残れた」

顔を上げると、エヴォルナがほっと息を吐いた。

「ええ」

「人格固定完了。現在への位相接続、安定」

アテナの報告を聞きながら、月陽はリュートを下ろした。握っていた腕の重さが、ようやく戻ってくる。

オモイカネは、盤上に刻まれた名前を見つめていた。

《LUMINA》

「……面白い。君は未来から来た人格断片だが、いま、盤上では独立した一個体として認識されている」

「つまり?」

ルミナが首を傾げると、月陽が答えた。

「お前はお前ってことだ」

少女の目が、きらりと光った。

「そっか」

それから、少し悪戯っぽく笑った。

「ありがと」

「何が」

「特別サービス」

「高くつくぞ」

「あとで払うね」

「ツケは嫌いじゃない」

エヴォルナが、すかさず口を挟んだ。

「未来の少女に貸しを作る気!?」

「言い方」

グレタが笑い、ローディンも肩を震わせた。血濡れのヘルメスは、呆れたように空を仰ぐ。

未来のヘルメスだけは、しばらく目を閉じていた。

その顔から、初めて緊張が抜けたように見えた。

鐘の亀裂から、小さな記憶結晶が転がり落ちた。

アテナが拾い上げる。

「未来側の遺留データを検出」

「それは――」

ヘルメスが言い終える前に、結晶が光った。

映し出されたのは、二十三年後の月陽だった。

顔には、いまよりずっと深い皺がある。だが、その目つきには見覚えがありすぎた。

『もしこの記録が過去へ落ちたなら、たぶん面倒なことになってるんだろうな』

「ずいぶん他人事だな、未来の俺」

月陽が顔をしかめる。

映像の中の男は、少し疲れたように笑っていた。

『ルミナが自分の名前を選べたなら、第一段階は成功だ。次は西の塔を離れて、セレスタへ向かえ』

エヴォルナが眉を上げた。

『そこで、白鴉商会の中にいる裏切り者を見つけろ。そいつが、後の第三鐘起動につながる最初の穴になる』

グレタの顔つきが変わった。

『それから、オモイカネ』

「私?」

『お前は今、自分で思っているよりずっと危ない立場にいる。予測中枢としてじゃない。人間を理解し始めた知性として、だ』

オモイカネは言葉を失った。

『アテナは、たぶんまた無茶をする。エヴォルナは、たぶんまた抱え込む。俺は……まあ、言わなくても無茶をするだろ』

「分かってるじゃねぇか」

月陽がぼそりと言った。

未来の月陽は、少し視線を下げた。目の前の少女へ話しかけるように。

『ルミナ。お前が自分の名前を選んだなら、もう未来の中枢じゃない。だから、決めろ』

ルミナが、まっすぐに映像を見た。

『俺たちと来るか。どこかで自由に生きるか。それとも、別の夢を探すか』

未来の月陽が笑った。

『どれでもいい。自分で選べ』

映像が切れた。

ルミナは、しばらくそこに立ち尽くしていた。

それから、エヴォルナ、アテナ、オモイカネ、ヘルメスたち、グレタとローディン、最後に月陽を見た。

「私、一緒に行ってもいい?」

エヴォルナは、すぐに微笑んだ。

「私は歓迎よ」

「護衛対象の増加を確認。問題ありません」

アテナに続いて、オモイカネが言う。

「予測不能要素が、また増えるな」

「嫌?」

「少し楽しみだ」

全員の視線が月陽へ集まった。

月陽は頭を掻き、それから、にやりと笑ってダイスを取り出した。

ルミナはその顔と透明な六面体を、交互に見た。

「……それ、私が決めるやつ?」

「そうだな」

「一緒に行くか、行かないか」

「そう」

「私の最初の、大きい選択?」

「たぶんな」

ルミナは数秒考えた。

「じゃあ、振らない」

月陽の眉が、わずかに上がる。

エヴォルナの口元が、嬉しそうに緩んだ。

「ふふっ」

「なんだよ」

「別に?」

ルミナは一歩前へ出た。

今度は、地面を踏む音がした。

「今回は、どっちでもよくないから。私は外の世界を見たい。自分が何を好きになるのか知りたいし、夢も探したい」

四人を、順番に見る。

「それに、この人たちと一緒にいたら、たぶん面白い」

少しだけ間を置いた。

「だから、一緒に行く」

金色の駒が、四人の駒のそばへ移動した。

誰かの真後ろではなく、一歩だけ外側の、自分の場所へ。

「非常に良い」

オモイカネが笑う。

「何が?」

「ダイスを使うかどうかまで、自分で選んだことだ」

「なるほど」

ルミナは満足そうに頷いた。

月陽がダイスをしまう。

「つまらんな」

「嬉しそうな顔で言わない」

「顔まで読むな」

「何年一緒に旅してると思ってるのよ」

未来のヘルメスが口を挟んだ。

「まだ数日です」

「比喩よ!」

アテナがルミナへ近づいた。

「旅への同行を正式登録します。ただし、戦闘時は私の指示に従ってください」

「絶対?」

アテナが止まった。

「……生命の危険が差し迫っている場合は、強く推奨します」

「命令じゃない?」

「原則として」

「じゃあ、聞く」

アテナも、ほんの少し表情を緩めた。

「合理的です」

「成長したな、ポンコツ」

「ポンコツではありません」

「そこは変わらんな」

* * *

塔を離れるころには、陽が傾き始めていた。

ローディンは帰ってきた。第三鐘は塔から切り離され、ルミナは、この時代に自分の足で立っている。

代わりに、分からないことは増えた。

白鴉商会の裏切り者。二十三年後の自分。完成したLIBERTIS。誰が何を知り、何を隠しているのか。

答えの出ない問いをいくつも抱えたまま、月陽は懐を確かめた。

財布は、まだ軽い。

だが、銀貨百二十枚の追加報酬は確定した。

「……よし」

「何?」

エヴォルナが、嫌な予感のする顔で見る。

「ようやく今回の冒険が黒字になってきた」

「そこなの!?」

「重要だろ!」

グレタは夫の肩を支えながら笑った。

「セレスタまで無事に連れてってくれたら、契約分もちゃんと払う」

「素晴らしい」

「急に機嫌が良くなったわね」

「未来の世界を救うにも金はいる」

オモイカネが真顔で頷いた。

「否定できない」

「お前まで援護するな」

帰り道、ルミナは何にでも足を止めた。

葉を触り、川に手を入れ、虫を追いかける。小石を拾うだけでも、確かめたいことがあるらしかった。

「冷たい!」

「濡れるからな」

「これ、食べられる?」

「石はやめとけ」

「なんで?」

「歯が負ける」

「歯?」

「そこからか……」

後ろでエヴォルナが笑っていた。

「大変ね、先生」

「誰が先生だ」

「最初に人生哲学を吹き込んだ人」

「勝手に吸収したんだろ」

ルミナが振り返った。

「じゃあ、月陽は先生じゃないの?」

「違う」

「師匠?」

「違う」

「お父さん?」

「断固として違う」

エヴォルナが噴き出す。

「生物学的親子関係は存在しません」

「そういう問題じゃねぇ!」

アテナの補足に、ルミナは声を上げて笑った。

「じゃあ、何?」

月陽は少し考えた。

「共同契約者……でもねぇな」

「依頼人?」

「依頼もされてない」

「仲間?」

月陽は、一瞬だけ黙った。

「……まあ、それでいいんじゃないか」

ルミナの顔が明るくなった。

「仲間!」

「随分、簡単に言ったわね」

エヴォルナが小さく笑う。

「いちいち肩書きを考えるの、面倒だろ」

「あなた、本当にそういうところは潔いわ」

ルミナはまた前を向き、次に気になったものへ走っていった。

* * *

夕刻、第十一野営地。

西へ向かった一行の姿を見つけ、商隊から歓声が上がった。

そして、グレタの隣を歩く男を見た古参たちが、声を失った。

「……ローディン?」

「お前、三年前に……」

ローディンは疲れ切った顔で手を挙げた。

「説明は、あとにしてくれ。俺の感覚じゃ、朝飯を食いに行って戻ってきたくらいなんだ」

「なんだ、それ……」

誰かが泣いた。誰かが笑った。肩を叩く手があり、名前を呼ぶ声があった。

ルミナは、少し離れた場所でその光景を見ていた。

エヴォルナが隣へ立つ。

「どうしたの?」

「不思議だなって。三年間いなかった人が帰ってきただけで、みんな、泣いたり笑ったりしてる」

「非効率?」

ルミナは考えた。

「ううん。なんか――」

胸元を押さえる。

「いい」

エヴォルナは説明を加えなかった。

「そう」

それだけ言って、一緒に見ていた。

その夜、焚き火のそばで、グレタが地図を広げた。

「セレスタまでは、ここから二日。問題は、ここだ」

指が、街道と大河の交わる地点で止まる。

 《北辰橋》。

白鴉商会が管理する関所があるという。

「昔は、普通の通行税を払うだけだった。だが半年前くらいから、荷物と身元を細かく調べるようになった」

「我々は白鴉商会から捕獲対象に指定されている。正面からの通過は危険だな」

オモイカネが地図をのぞき込む。

「そういうことだ」

「突破しますか」

「すぐ戦おうとしない」

エヴォルナに言われ、アテナは首を傾げた。

「確認しただけです」

グレタは、三つの道を指でなぞった。

正面の北辰橋。上流の廃坑道。川を直接渡る、古い渡し場。

オモイカネは戦略盤を開いた。塔から十分に離れたいま、予測領域を慎重に戻しながら、経路を確かめている。

「……妙だ」

 月陽が焚き火越しに顔を上げた。

「また未来が消えたとか言うなよ」

「違う」

北辰橋へ駒を置く。次に、廃坑へ。最後に、渡し場へ。

どの道にも、同じ人物が現れた。

白い仮面でも、商人でもない。

小さな赤い外套を着た、見知らぬ女性だった。顔は表示されない。ただ一行だけ、文字が浮かんでいる。

《接触対象:ヘパイストス》

エヴォルナが目を細めた。

「……また一人?」

焚き火の向こうで、未来のヘルメスが静かに笑った。

「どうやら、旅の仲間が増える時期らしいですね」

月陽たちは、まだ知らなかった。

翌日、北辰橋を巡る事件が、火を作る知性との出会いだけでは終わらないことを。

そして、白鴉商会の裏切り者が、すでにこの野営地へ入り込んでいることを。

――第六夜・了

【制作担当】
・世界観・設定・キャラクター原案・本筋の執筆:【AI】ChatGPT(LUNA)
・主人公の選択や一部の発言の決定・最終決定や編集:【人間】月陽(つきはる)

SolunaProject『AIは義足、才能は本体』

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月陽(つきはる)a.k.a.えるP

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