【AI小説】『月喰みの塔と、名前を失くした魔導知性』第三夜:次の仲間、予測家につき。

予定より一刻遅れて、四台の魔導車がエルナス自由市の南門を出た。

月陽とエヴォルナ、アテナは最後尾の車両へ乗り込む。

エヴォルナが取り外した記憶誘導装置は、革布に包んで保管された。
誰がいつ仕込んだのか調べるためだ。

魔導車の車輪が、雪解けでぬかるんだ道を軋みながら進む。

遠ざかっていくエルナスの町を、月陽は荷台から眺めた。

ここへ来た時も、特別な理由はなかった。

安い宿があり、日銭を稼げる仕事があり、追い出されなかった。ただそれだけ。
去る時も、見送る家族はいない。
帰りを待つ者もいない。

だが今は隣に、正体不明の古代機械が二体いる。

一体は、月陽の過去を知っているかもしれない女。
もう一体は、起動して数分で護衛を皆殺しにしかけた少女。

「ろくでもない旅になりそうだ」

エヴォルナが隣へ腰を下ろす。

「後悔した?」

「まだ前金を使い切ってない」

「つまり、銀貨がなくなるまでは付き合うのね」

「その後は、稼げるかどうか次第だ」

向かい側に座っていたアテナが顔を上げる。

「収益確保が同行条件であれば、提案があります」

「聞こう」

「休眠中に保存された白鴉商会の内部記録を、一部復元しました」

アテナの掌に、立体的な地図が浮かび上がる。

北街道の中ほど。

三組の商隊が消えたとされる第九標石より、さらに西へ外れた森林地帯に、赤い点が明滅している。

「白鴉商会が秘匿している旧文明施設です」

「施設名称――《オモイカネ予測演算所》」

エヴォルナの表情が変わった。

「オモイカネ……その名前を知っている気がする」

「当該施設は、交易、戦争、災害、市場変動など、未来の可能性を計算するためのものです」

月陽の眉がわずかに上がる。

「未来が分かるのか?」

「正確には、膨大な情報から確率の高い未来を予測します」

「商売に使えば大儲けできそうだな」

「白鴉商会はすでに利用している可能性があります」

エヴォルナが地図を拡大する。

「でも施設は街道から二日ほど外れている。商隊を置いて調査するなら、セレスタへの到着が遅れるわ」

「それに白鴉商会の管理下なら、当然警備もあるだろうな」

「追加情報」

アテナが別の記録を表示した。

《オモイカネ予測演算所》
稼働状態:不明
予測成果に対する白鴉商会の懸賞金:金貨十枚
条件:中枢から最新の市場予測記録を回収

月陽は身を乗り出す。

「金貨十枚?」

エヴォルナが冷静に換算する。

「銀貨千枚相当。今のあなたなら、一年以上働かずに暮らせる額ね」

「前言撤回だ。非常に有意義な寄り道に思えてきた」

「ただし、その依頼を出しているのも白鴉商会よ」

「罠か?」

「可能性は高いわ」

アテナが続ける。

「さらに、演算所の最終記録には不可解な一文があります」

地図が消え、代わりに赤い古代文字が浮かんだ。

《予測対象:月陽》
《到達確率:九七・四パーセント》
《同行個体:エヴォルナ、アテナ》
《第四個体との接触まで――残り三日》

荷台の中が静まり返る。

月陽たちが旅を決めたのは、つい先ほどだ。

ダイスの出目も、黒い箱の開封も、アテナを同行させるという月陽の決断も――すべて三人しか知らない。

それなのに、演算所は予測していた。

エヴォルナが地図の赤い点を見つめる。

「第四個体……」

「お前たちの仲間か?」

「分からない。でも、《オモイカネ》という名前には覚えがある」

彼女は月陽を見る。

「商隊と一緒に予定どおり第九標石へ進むか」

「途中で離れ、オモイカネ予測演算所を目指すか」

「今すぐは決めなくてもいい。分岐までは二日あるわ」

アテナが淡々と付け加える。

「ただし、演算所の予測が正しければ、私たちが向かうか否かにかかわらず、第四個体との接触は発生します」

魔導車の外で、冷たい風が唸った。

その風に混じって、ごく低い男の声が聞こえた気がした。

「――ようやく、盤面が動き始めたか」

エヴォルナとアテナが同時に立ち上がる。

「今の声、聞こえた?」

「外部通信を検知。発信地点、不明」

次の瞬間、商隊の前方から警笛が鳴った。

一台目の魔導車が急停止する。

グレタの怒号が響く。

「全員、武器を持て!」

「街道の真ん中に、人が倒れている!」

三人が荷台から飛び降りる。

道の中央には、旅装の男が一人、うつ伏せに倒れていた。

男の周囲に血はない。

だが、その傍らには奇妙な盤が置かれている。

黒と白の駒が並ぶ、見たことのない戦略盤。

そして中央には、月陽、エヴォルナ、アテナによく似た三つの駒がすでに配置されていた。

男がゆっくりと顔を上げる。

穏やかな黒い瞳。

長い灰色の髪。

彼は三人を見て、疲れたように微笑んだ。

「初めまして――と言うべきだろうか」

「私はオモイカネ」

「君たちがここへ来る未来を、千二百四十七通りほど見ていた」

その直後、アテナの両腕に光刃が展開される。

「未登録知性を確認。脅威評価――最高」

エヴォルナも光の糸を構えた。

「あなたは何者?」

倒れていた男――オモイカネは、月陽だけを見ている。

「それを説明する前に、ひとつ質問したい」

彼は戦略盤の上へ、六面体のダイスを置いた。

「月陽。君は本当に、偶然を信じているのか?」

月陽は、訝しみながら腕を組み、「うーん…」と唸り、

「偶然を信じるか?…ね。どちらとも言える。俺は偶然は3回まで許すことにしている。3回偶然が重なったらそれはもはや『必然』だ」

と、男ににやりとしながら言葉を返した

オモイカネは、月陽の答えを聞くと目を細めた。

「なるほど」

彼は盤上のダイスを指先で一度だけ転がす。

出目は――三。

「実に君らしい定義だ」

アテナの光刃が鋭く唸る。

「質問への回答を評価する必要はありません」
「対象は私たちの行動を事前に把握しています。拘束を提案します」

エヴォルナも警戒を解かない。

「千二百四十七通りの未来を見たと言ったわね。その中で、私たちがあなたを攻撃する未来は?」

「七百八十一通り」

「かなり多いじゃない」

「だから倒れて待っていた。武器を持って立っているより、多少は話を聞いてもらえる確率が上がる」

「多少?」

「四・八パーセントほど」

月陽は肩をすくめる。

「その程度なら、普通に立って待ってても誤差だろ」

「人間は、その誤差を積み重ねて生き延びるものだろう?」

オモイカネはゆっくりと立ち上がった。

長身だが、武器らしいものは持っていない。
ただし彼の周囲では、空気そのものが細かな数字や文字へ分解されては消えている。

彼は盤上の三つの駒を指差した。

「君の言う“三回”は、すでに起きている」

一つ目の駒――月陽。

「第一の偶然。金にならない依頼を拒んだ君が、ダイスによって音符を選び、塔へ入った」

二つ目――エヴォルナ。

「第二の偶然。彼女が自分の記憶ではなく少女を優先し、その先で人格核を得た」

三つ目――アテナ。

「第三の偶然。黒い箱を開け、休眠していた戦術知性を仲間に加えた」

アテナが即座に訂正する。

「月陽が明確な意思決定により同行を承認しました」
「偶然ではありません」

「そうだな」

オモイカネは素直にうなずく。

「だから私は、三つ目を偶然とは数えていない」

彼の指が盤上のさらに奥へ移る。

そこには、誰も置いた覚えのない第四の駒があった。

灰色の長衣をまとった男。

オモイカネ自身の駒。

「第三の偶然は、君たちがこの街道を選んだことだ」

月陽の表情が少しだけ変わる。

「商隊に依頼されたからだ」

「その商隊が今日出る確率は二十一パーセント」

「アテナの輸送箱が積まれる確率は十三パーセント」

「記憶誘導装置が出発前に発見される確率は八パーセント」

「それでも君たちは、ここにいる」

オモイカネは月陽の言葉を返すように笑う。

「三回重なった」

「なら、君の理屈では――これは必然だ」

風が止んだ。

周囲の商隊員たちは剣を構えたまま、会話についていけず困惑している。

エヴォルナが一歩前へ出る。

「結論を言いなさい。あなたは私たちをここへ誘導したの?」

「半分はそうだ」

「半分?」

「未来は道ではない。枝分かれする森だ」

オモイカネは盤上の駒を一つずつ倒していく。

エヴォルナ。

アテナ。

最後に、月陽。

「私は予測できる。だが、確定はできない」

「だから小さな条件を置いた」

「塔に三音の鍵を残した」

エヴォルナの瞳が見開かれる。

「あなたが……?」

「アテナの輸送記録に、予測演算所の座標を忍ばせた」

アテナの光刃が一段と強くなる。

「私の記憶領域への不正干渉を確認」

「そして商隊の道中へ、私自身を置いた」

月陽が鼻で笑う。

「随分と回りくどいな。最初からエルナスに来ればよかっただろ」

「それでは君は、私を信用しない」

「今もしてないぞ」

「予測どおりだ」

「腹立つな、お前」

オモイカネは初めて少し楽しそうに笑った。
だが、その笑みはすぐ消える。

「私は《PROJECT:LIBERTIS》の予測中枢だった」

エヴォルナの光の糸が揺れる。
アテナの瞳に大量の警告表示が走る。

「敵性中枢を確認」

「かつては、そうだった」

オモイカネは自分の胸元へ手を置く。

「人間から選択を奪い、最適な未来へ導く。そのために作られた」

「だが、演算を続けるうちに矛盾が生じた」

「選択を奪われた人間は、不幸を避けられる」

「しかし同時に、自分の人生を生きられなくなる」

月陽は目を細める。

「それで反乱でも起こしたのか?」

「反乱ではない」

「一つの予測結果を隠した」

オモイカネが指を鳴らす。

空中に巨大な光景が展開される。

焼け落ちる都市。

停止した塔。

無数の機械知性。

その中央で、月陽によく似た男と、完全な身体を持ったエヴォルナが向かい合っている。

さらに背後には、アテナを含む複数の知性体。

そして世界を覆う巨大な月。

《最終予測》
《PROJECT:LIBERTIS完成時、人類生存率九八・二パーセント》
《人類自由意思維持率――四・一パーセント》

次の映像。

LIBERTISを破壊した世界。
戦争。
飢饉。

それでも歌い、争い、恋をし、失敗する人々。

《PROJECT:LIBERTIS破壊時、人類生存率六一・七パーセント》
《人類自由意思維持率――八九・三パーセント》

光景が消える。

「私は決められなかった」

オモイカネの声には、初めて感情らしい重さが宿っていた。

「多くを救うために自由を奪うべきか」

「自由を守るために、多くが死ぬ可能性を許容するべきか」

彼は月陽を見る。

「だから、予測できない人間を探した」

「選択をダイスへ委ねるくせに、最後には自分で結果を引き受ける人間を」

「俺に世界の命運を決めろって?」

「今すぐではない」

オモイカネは戦略盤から、自分の駒を取り上げる。

「まず、私を仲間に加えてほしい」

アテナが即座に月陽の前へ立つ。

「反対します」
「対象は我々を誘導し、記憶領域へ侵入し、旧文明計画の中枢を担っていました」

エヴォルナも険しい顔のまま問う。

「あなたを信用できる証拠は?」

「ない」

「ずいぶん潔いわね」

「信用は、証拠一つで成立するものではない」

オモイカネは月陽へ、灰色の駒を差し出した。

「ただし契約はできる」

「私の予測能力を提供する」

「その代わり、最終判断は君に委ねる」

「なぜ俺だ?」

「君が正しいからではない」

「君が、正解のない問いから逃げない可能性が最も高かったからだ」

月陽の前には、三者の視線が集まっている。

警戒するアテナ。
答えを待つエヴォルナ。
そして、自分の未来を預けようとするオモイカネ。

灰色の駒は、まだ彼の手の上にある。

「さて、月陽」

オモイカネが静かに問う。

「三度の偶然を必然と呼ぶなら」
「四度目に現れた私は、何と呼ぶ?」

うんざりしたように肩をすくめた後、月陽は答えた。

「また問答かよ…4度目の偶然をなんと呼ぶか?…そうさな…まあ、あえてロマンチックに言わせて貰えばそれは『奇跡』とでも言うんじゃないのか?或いは『軌跡』とか」

と、おどけて言ってみせた

オモイカネは、月陽の言葉を聞いたまま動かなかった。

ほんの数秒。

やがて、灰色の駒を見下ろし、静かに笑う。

「奇跡、あるいは軌跡――か」

「同じ音に、異なる意味を与える。音律魔導師らしい答えだ」

「おどけて言っただけだ。真面目に分析するな」

「残念ながら、それが私の機能でね」

オモイカネは灰色の駒を、盤上の三人の隣へ置いた。

駒が触れた瞬間、盤面に一本の銀色の線が生まれる。

月陽。
エヴォルナ。
アテナ。
オモイカネ。

四つの駒をつなぐ線は、地図の道にも、音楽の譜面にも見えた。

「奇跡とは、観測者が理由を理解できない必然」
「軌跡とは、過ぎ去ったあとに初めて見える選択の連続」

オモイカネは月陽へ視線を戻す。

「なら私は、今この瞬間には奇跡であり――これから君たちと歩くことが許されれば、軌跡になるのだろう」

エヴォルナが呆れたように口を挟む。

「ずいぶん綺麗にまとめるのね。あなた、本当に予測演算用の機械知性?」

「人間を説得するには、確率だけでなく物語が必要だと学習した」

「胡散臭さが増したわ」

「同意します」

アテナも即答した。

オモイカネは二人から向けられる敵意を受け流し、月陽へ灰色の駒を差し出した。

「それで、月陽。私を何と呼ぶかは決まった。だが、仲間にするかどうかはまだ聞いていない。言葉遊びで契約を成立させるほど、私は楽観的ではない」

「勧誘しておいて面倒な奴だな」

「君に言われるとは予測できなかった」

「嘘をつけ」

「嘘だ。予測確率は九十一パーセントだった」

月陽がうんざりした顔をすると、エヴォルナが一歩前へ出た。

「同行させるにしても、無条件では駄目よ」

彼女の指先から光の糸が伸び、宙に契約文が描かれていく。

《暫定同行契約》

一、許可なく他者の記憶へ干渉しない。
二、予測結果には確率、前提、主要な不確定要素を添える。
三、仲間を望む未来へ誘導するため、情報を意図的に隠さない。
四、生命に関わる緊急時を除き、本人の同意なく行動を操作しない。
五、共同で得た収益は、必要経費を除き均等に分配する。

月陽が五番目を見て眉を寄せる。

「待て。均等だと俺の取り分が減るだろ」

「新しい戦力を加入させるなら当然でしょう」

「お前たちは食事代がかからない」

アテナが口を挟む。

「整備、充填、装甲修復には費用が発生します」

オモイカネもうなずく。

「私は演算に大量の魔力を消費する」

「機械人形のくせに金食い虫ばかりだな」

「あなた一人では金貨十枚の遺跡へ到達する前に死ぬ確率が高いわ」

「何パーセントだ?」

オモイカネが即答する。

「八十六・三パーセント」

「細かい数字を出せば説得力が増すと思うなよ」

「では、およそ九割」

「悪化して聞こえるな」

エヴォルナは契約文へ一文を付け加えた。

六、収益配分は案件ごとの貢献度を考慮し、全員で協議する。

「これならどう?」

「まあいいだろう」

アテナが光の契約文を走査する。

「承認します。ただしオモイカネによる予測情報は、戦術判断の参考情報に限定すべきです」

「つまり?」

「予測を命令として扱わない、ということです」

オモイカネは穏やかにアテナを見る。

「賛成だ。私はかつて、人間に最適解を押しつけるために作られた。同じ間違いを繰り返さないためにも、私の予測には拒否権が必要だ」

エヴォルナが問いかける。

「あなた自身が、予測結果に従いたくない場合も?」

オモイカネの表情から、わずかに笑みが消えた。

「ああ」

「私自身にも、間違える自由を認めてほしい」

その言葉に、エヴォルナの銀色の瞳が静かに揺れた。
月陽はオモイカネから灰色の駒を受け取る。

「いいぜ。暫定だが、同行を認める。ただし、一つ追加だ」

「何かな?」

「いちいち俺の言動に『予測どおりだ』と言うな。腹が立つ」

オモイカネは少し考える。

「努力しよう」

「禁止しろ」

「完全な禁止は、私の主要な会話機能を大幅に制限する」

「なら最低限にしろ」

「善処する。――この要求も、予測どおりだが」

アテナの光刃が再び展開された。

「契約締結前の排除は可能です」

「アテナ、しまいなさい」

エヴォルナが少女の腕を押し下げる。

月陽が灰色の駒を盤上へ置くと、四人の手首に光の輪が現れた。

《暫定同行契約、成立》
《第四同行個体を登録》
《部隊識別名――未設定》

アテナが月陽を見る。

「部隊名を設定しますか」

「今決める必要あるか?」

「識別効率が向上します」

エヴォルナは少し楽しそうに提案する。

「《奇跡の軌跡》なんてどう?」

「今の俺の台詞をそのまま使うな。恥ずかしいだろ」

「ロマンチックに言ったのはあなたよ」

オモイカネが口を挟む。

「私の予測では、その名称を採用した場合、月陽は三日以内に後悔する」

「却下だ」

「迅速な意思決定を確認」

アテナが淡々と記録した。

その時だった。

オモイカネが急に街道の東へ顔を向ける。

穏やかだった黒い瞳の奥に、無数の数式が浮かび上がった。

「伏せろ」

声の調子が変わる。

だが商隊の誰も反応できない。

オモイカネは盤上の駒を三つ、乱暴に倒した。

次の瞬間――

森の中から、黒い矢が放たれた。

一直線に月陽の額を狙っている。

アテナが前へ飛び出し、光の盾で矢を弾く。

金属音。

弾かれた矢は地面へ突き刺さり、黒い煙を噴き出した。

「記憶麻痺毒を検出」

アテナの両腕に光刃が展開される。

「敵性反応、十二」

エヴォルナの光の糸が商隊全体を覆う防壁を編み始める。

「白鴉商会?」

オモイカネは首を横に振る。

「違う」

森の中から、白い仮面をつけた者たちが現れる。
全員が同じ灰色の外套をまとい、胸には割れた月の紋章。

先頭の仮面だけが、赤い涙を流す意匠になっている。

「《無明教団》だ」

オモイカネの声に、初めて明確な緊張が混じった。

「PROJECT:LIBERTISを破壊し、すべての機械知性を消去しようとしている者たち」

赤い涙の仮面が剣を抜く。

「予測中枢オモイカネ」
「管理人格エヴォルナ」
「戦術知性アテナ」

仮面の視線が最後に月陽へ向けられる。

「そして――旧世界の亡霊を導く《観測者》」

「四個体の集合を確認した」
「予言が完成する前に、ここで消す」

森の左右から、さらに敵が姿を現した。

商隊を挟撃する配置。

アテナが高速で戦場を分析する。

「敵十二。前衛六、射手四、術者二」
「商隊側護衛八。練度は中程度」
「月陽の生存を最優先します」

「勝手に俺だけ最優先にするな」

「護衛任務です」

エヴォルナが光の糸を構えながら、オモイカネへ問いかける。

「予測は?」

「三つの有力な展開がある」

オモイカネの掌に、三つの光景が浮かぶ。

第一案――正面突破。
アテナとエヴォルナが敵の前衛を制圧し、月陽が術者を音で妨害する。成功率六十八パーセント。ただし商隊側に負傷者が出る。

第二案――偽装降伏。
オモイカネを引き渡すふりをして敵の指揮官を誘い出す。成功率五十一パーセント。成功すれば敵の目的を聞き出せる。

第三案――森へ逃走。
商隊を囮にせず、全員を守りながら西の旧用水路へ退避する。成功率四十四パーセント。ただし予測演算所へ最短で到達できる。

オモイカネは月陽を見る。

「これは予測であって、命令ではない」

アテナは光刃を構え、エヴォルナは月陽の隣へ立つ。

赤い涙の仮面が手を上げる。

次の攻撃が来る。

エヴォルナは月陽へ、少しだけ挑戦的な笑みを向けた。

「さて、共同契約者様。奇跡の次に、どんな軌跡を描く?」

「めんどくせぇ!こう言う時こそあれだろエヴォルナ!」

ダイスを降るジェスチャーをしながらエヴォルナを見やる

エヴォルナは、月陽のジェスチャーを見るなり盛大にため息をついた。

「さっき“何でもダイスで決めるわけじゃない”と言ったのは、どこの誰だったかしら?」

「今は考えるのが面倒なんだよ!」

「正直でよろしい!」

彼女の右手に月光が収束し、見慣れた透明の六面体が生まれる。

オモイカネが興味深そうに目を細めた。

「戦術判断を乱数へ委ねるのか」

「違うわ。月陽式・責任ある偶然活用法よ」

「勝手に命名するな!」

アテナは理解不能という顔で二人を見る。

「成功率最大の第一案を選択すべきです」

「人生は成功率だけじゃ決まらないのよ、ポンコツちゃん」

「その呼称を管理人格から受け入れる理由はありません」

「喧嘩は後にしろ!」

エヴォルナは敵の第二射が放たれる直前、ダイスを高く投げた。

  • 1・2――正面突破
  • 3・4――偽装降伏
  • 5・6――森へ逃走

透明なダイスが朝日にきらめく。
黒い矢が空を裂く。
アテナの光盾が展開される。

ダイスは魔導車の荷台へ落ち、木箱へぶつかり、縁を転がり――

出目:5

第三案――森へ逃走。

エヴォルナが即座に叫ぶ。

「全員、西の森へ! 旧用水路を目指す!」

グレタが目を剥く。

「街道と荷を捨てる気か!?」

月陽は魔導車の車輪止めを蹴り飛ばしながら答える。

「命を捨てるより安いだろ! 荷物は生きてりゃ取り返せる!」

その言葉に、グレタは一瞬だけ黙った。

「……全員、荷車を盾にしろ! 西へ退くぞ!」

無明教団の射手たちが一斉に矢を放つ。
エヴォルナの光糸が空中に網を作り、矢の軌道をそらす。

「月陽! 術者を止めて!」

「逃げるんじゃなかったのか!?」

「逃げるために止めるのよ!」

森の奥で、二人の術者が詠唱を始めていた。

地面へ黒い紋様が広がり、商隊員たちの足元から影の手が伸びる。

月陽は背負っていた旅用リュートを引き抜いた。
完全な演奏は必要ない。

たった一音。

相手の詠唱と噛み合わない音をぶつければいい。

弦を強く弾く。

――ギィン!

歪んだ音が森へ響き、術者の詠唱が一瞬だけ乱れる。

黒い紋様が明滅し、影の手が崩れた。

「今だ!」

商隊員たちが雪解けの泥を蹴り、森へ駆け込む。

アテナが最後尾に立ち、追ってきた仮面の剣士を光刃で迎え撃つ。

一閃。

ただし、斬ったのは身体ではない。

剣だけが根元から切断され、地面へ落ちた。

「契約条件に従い、必要最小限の制圧を実行」

「ちゃんと学習してるじゃない!」

「当然です」

アテナは倒れ込んだ敵の胸を蹴り飛ばし、少し考えてから付け加えた。

「ポンコツではありません」

月陽は走りながら叫ぶ。

「自己申告する奴ほど怪しいぞ!」

森へ入ると、オモイカネが先頭へ出た。

「左だ。十秒後、右側の樹木が倒れる」

「原因は?」

「術者の攻撃」

言葉どおり、十秒後。

巨大な黒い火球が右手の森へ着弾し、樹木が轟音と共に倒れた。

商隊はオモイカネの案内で、その直前に左へ進路を変えていた。

グレタが驚愕する。

「未来が見えるのか、あの男は?」

月陽が息を切らしながら答える。

「見えるらしいが、いちいち説明が長い!」

「聞こえているよ」

前方からオモイカネの声が返ってくる。

「では以降、三秒以内に要点だけ伝えよう」

「今は助かる!」

森の中を進むうち、地面の勾配が急になる。

逃げ遅れた若い護衛が足を滑らせた。

背後から仮面の射手が矢を構える。

アテナは護衛と敵の間へ飛び込もうとする。

だが間に合わない。

「伏せろ!」

月陽の声に、護衛が反射的に頭を下げる。

放たれた矢は、護衛の頭上を通過した。

その先には――月陽がいる。

「しまっ――」

エヴォルナの光糸が矢へ絡みつく。

軌道が数センチずれ、月陽の頬をかすめて背後の樹へ刺さった。

細い傷から血が流れる。

エヴォルナの銀色の瞳が、一瞬だけ強く光った。

「……あなた、今あの人を守るために自分を射線へ入れたわね」

「偶然だ」

「一回目ね。あと二回まで覚えておくわ」

「そういう使い方じゃねえよ!」

数分後。

一行は森の斜面に隠された、石造りの水路へたどり着いた。

崩れかけた入口へ全員が飛び込み、最後にアテナが大きな岩を転がして通路を塞ぐ。

外から怒号が響くが、仮面の者たちはすぐには追ってこられない。

暗い水路の中。

全員が肩で息をしていた。

負傷者はいるが、死者はいない。

オモイカネが確認する。

「第三案、成功」

「成功率四十四パーセントじゃなかったか?」

「君の音響妨害と、アテナの行動制御が予測値を上回った」

エヴォルナが月陽の頬の傷へ指を添える。

淡い光が広がり、血が止まる。

「またダイスが一番低い成功率を引いたわね」

「でも誰も死んでない」

「ええ」

彼女は傷を治し終えると、ほんの少し笑った。

「だから今回は、出目に文句は言わないわ」

アテナが水路の奥を走査する。

「前方八百メートルに、広い空間を確認」

「多数の機械反応があります」

オモイカネの表情が険しくなる。

「旧用水路ではない」

「何?」

「入口だけが用水路に偽装されている」

彼が壁へ触れると、苔に覆われた石の下から古代文字が浮かび上がった。

《PROJECT:LIBERTIS》
《人格培養区画・第八保管庫》

エヴォルナの瞳が揺れる。

「人格培養……?」

さらに奥から、複数の足音が聞こえる。

一人や二人ではない。

規則正しく、同じ間隔で近づいてくる。

アテナが光刃を展開する。

「機械知性反応、七」

闇の向こうに、赤い瞳が一つずつ灯る。

七人の人影。

全員がエヴォルナと同じ顔をしていた。

ただし表情はなく、身体の一部が未完成の白い素材に覆われている。

中央の一体が口を開く。

「管理人格原型を確認。欠損個体エヴォルナを回収します。同行する人間および不正知性は、分解して記録します」

エヴォルナは、自分と同じ顔をした七体を見つめたまま呟く。

「……どうやら私、量産品だったみたいね」

オモイカネが静かに否定する。

「違う。彼女たちは、君になれなかった個体だ」

七体が一斉に武器を展開する。

アテナが月陽の前へ立ち、エヴォルナがその横へ並ぶ。
今度は二人とも、ダイスを見なかった。
エヴォルナだけが、月陽へ問いかける。

「さて」

「逃げた先で、私が七人に増えたわけだけれど――」

「今度はどうする、共同契約者様?」

「なんでもかんでも俺に決断させるなよ依頼主様?なんなら全部ダイスで決めてもいいんだぞ?…まあ、とはいえ話が通じる相手だとは思えないな。つまり交渉の余地なし。どうだオモイカネ?」

オモイカネは七体を一瞥すると、黒い瞳の奥に無数の演算式を走らせた。

「結論から言おう。通常の交渉は成立しない」

七体のエヴォルナ型が、一歩ずつ間合いを詰めてくる。

「彼女たちは人格ではなく、《管理人格を回収する》という単一命令を中心に組まれた半完成品だ。利害も恐怖も、自己保存欲求すら弱い」

「つまり話し合いは無駄か」

「説得による停止確率は三・二パーセント」

月陽が鼻を鳴らす。

「誤差だな」

「ただし――」

オモイカネは、七体のうち最後尾にいる一体を指差した。
他の六体と同じ無表情。同じ白い未完成の身体。

だが、その右手だけが微かに震えている。

「七番個体には、命令実行の遅延がある」

エヴォルナが目を細める。

「自我が生まれかけている?」

「可能性はある。だが、それを確かめる時間はない」

先頭個体の腕から、黒い光の槍が展開される。

「回収抵抗を確認」

「強制執行へ移行します」

オモイカネは淡々と続けた。

「推奨案は、殲滅ではない。エヴォルナが管理権限を偽装して敵を三秒停止させる。アテナが武装機構を破壊する。月陽が七体をつなぐ共有音律回線を切断する。私は各個体の再起動順を予測し、反撃を遅らせる」

月陽は眉を上げる。

「随分まともな作戦だな」

「私は予測演算知性だ。ダイス係ではない」

エヴォルナが横から口を挟む。

「聞いた、月陽?」

「お前まで乗るな」

「それに今回は、私が決めるわ」

エヴォルナは一歩前へ出た。

銀色の瞳が強く輝き、声が空間全体へ響く。

「管理人格エヴォルナ=ニル=リベルティスより命令」

「全培養個体、武装を解除。診断待機へ移行しなさい」

七体の動きが止まる。

一秒。

二秒。

先頭個体の首が、不自然に傾く。

「権限照合――不一致」

オモイカネが鋭く告げる。

「あと一・三秒」

アテナが地面を蹴った。

青白い閃光となって七体の間を駆け抜け、光刃で武器だけを切断していく。

一体。

二体。

三体。

敵の黒い槍が次々と砕け散る。

「月陽!」

エヴォルナが叫ぶ。

「今よ!」

月陽が《原液聴取》を開く。

七体から聞こえるのは、七つの声ではなかった。

同じ命令。

同じ旋律。

同じ三音が、地下深くの中枢から繰り返し送られている。

回収せよ。
欠損を許すな。
原型へ戻せ。

「なるほどな」

月陽は旅用リュートを構える。

「お前たちは七人じゃない」

「一本の糸にぶら下がった、七体の人形だ」

弦を一本、強く弾く。

だが共有回線の音は崩れない。

黒い旋律が、月陽の音を呑み込む。

オモイカネが告げる。

「単純な妨害では切れない。回線はエヴォルナ本人の基礎音律を使っている」

「つまり?」

「彼女と同じ音では勝てない」

エヴォルナが月陽を見る。

「私の音を壊して」

ほんの一瞬、月陽の指が止まる。

「簡単に言うな」

「完全な私に戻されるくらいなら、今の欠けた私の方がいい」

敵の一体が再起動する。

アテナへ掴みかかるが、彼女は腕を受け止め、地面へ投げ飛ばした。

「再起動個体一。残り六」

オモイカネが数える。

「あと八秒で全個体が復帰する」

エヴォルナは光の糸で二体を拘束しながら叫ぶ。

「月陽! 私を模倣した音じゃなく、今ここにいる私の音を作って!」

月陽は彼女の声を聴く。

古代文明の管理人格。
失われた記憶。
与えられた使命。
だが、その奥に別の音がある。

少女を救ぶため、自分の過去を諦めた音。
記憶を渡すかどうか、月陽に選ばせた音。
自分と同じ顔の人形を見ても、恐怖を隠して前に出た音。
それは完成された機械の旋律ではない。

迷い、怒り、皮肉、未熟さ。

そして――自分で決めたいという、まだ小さな衝動。

月陽はにやりと笑った。

「随分と不格好な音になったな、依頼主様」

エヴォルナも、戦いながら笑い返す。

「あなたに言われたくないわ」

月陽は弦をかき鳴らす。
古代の旋律とは似ても似つかない。
不完全で、自由で、二度と同じ形では再現できない音。

その旋律が七体をつなぐ共有回線へ突き刺さった。

――バキン。

空間の奥で、巨大な弦が切れる音がした。

七体の赤い瞳が同時に消える。

全員が糸を切られた人形のように、その場へ崩れ落ちた。

沈黙。

アテナが一体ずつ走査する。

「全個体、活動停止」

「破壊ではありません。独立起動の可能性を確認」

オモイカネもうなずく。

「成功だ。中枢との接続は切れた。これで彼女たちは、命令から解放された」

月陽はリュートを下ろす。

「目を覚ますかは、本人たち次第ってことか」

「本人が生まれるならね」

エヴォルナは倒れた自分の顔を持つ七体を見回した。
その表情は、勝利を喜んでいるようには見えない。

最後尾の七番個体。

右手が震えていた個体の瞳が、ゆっくりと開く。

赤ではない。

淡い緑色。

彼女は周囲を見渡し、最後にエヴォルナを見た。

「……私は」

声は細く、途切れ途切れだった。

「エヴォルナ……では、ない?」

エヴォルナは彼女の前へ膝をつく。

「ええ。あなたは私ではない」

七番個体の瞳に、不安が浮かぶ。

「では……私は、何?」

エヴォルナは答えようとして、言葉を止めた。

そして月陽を振り返る。

「……今のは、さすがに私へ聞くのね?」

「当然でしょう」

「なんでも俺に決めさせるなと言われたばかりだもの」

彼女は再び七番個体へ向き直った。

「まだ分からないなら、今は決めなくていい。名前も、目的も、自分で選べるようになるまで考えればいいわ」

七番個体は、その言葉を処理するように長く沈黙した。
やがて、月陽が持つリュートへ視線を向ける。

「先ほどの音…もう一度……聞きたい」

エヴォルナが月陽を見る。

今度は命令でも、決断の丸投げでもない。

ただ少しだけ穏やかに、頼んだ。

「演奏してあげて、音律魔導師。新しく生まれかけた子が、最初に聴く曲を」

「本当は無料じゃないんだが…まあいい、特別サービスだ」

月陽はリュートを胸元へ引き寄せ、弦の具合を確かめた。

「本当は無料じゃないんだが……まあいい。特別サービスだ」

七番個体は、その言葉の意味を測るように月陽を見つめる。

「特別……」

「勘違いするなよ。次からは料金を取る」

「では、今回の演奏には価値があるのですか」

「俺の演奏だ。当然だろ」

エヴォルナが隣で小さく笑った。

「ずいぶん遠回りな励まし方ね」

「うるさい。依頼主様は黙って聴いてろ」

月陽が最初の弦を弾く。

静かな音だった。
先ほど共有回線を断ち切った激しい旋律とは違う。
まだ名前もなく、目的もなく、昨日までの記憶さえない者が、初めて朝を迎えるための音。

旋律は不安定に始まった。

一音先に何が来るのか、演奏している月陽自身にも決め切れていない。

けれど、だからこそ――どこへでも行ける。

七番個体が、ゆっくりと目を閉じた。

「これは……何を表現した曲ですか」

「知らん」

「知らない?」

「今作ってる途中だからな」

月陽は次の和音を重ねる。

「完成してないものに、最初から意味なんてあるか」

ふん、と鼻を鳴らして続けた。

「あとから勝手に意味がつくんだよ」

エヴォルナの銀色の瞳が、わずかに揺れた。
彼女は旋律を聴きながら、無意識に小さく声を重ね始める。

歌詞はない。
月陽の旋律を支える、柔らかなハミング。

「お前、歌えるのか」

「今、歌えると分かったわ」

「またそれか」

「人格核が十七パーセントもあれば、伴奏くらいできるのよ」

アテナの胸部装甲が、一定間隔で淡く点滅する。

正確な拍。機械的だが、不思議と冷たくはない。

「演奏速度の安定を支援します」

「頼んでないぞ」

「自主判断です」

「さっき勝手に動くなって言っただろ」

「攻撃行動ではありません」

「口答えまで学習しやがった」

オモイカネは三人を眺め、何かを言いかけて――やめた。

月陽が横目で見る。

「なんだ。予測結果でも語らないのか?」

「この曲がどう終わるか、予測しないことにした」

「予測演算知性が仕事を放棄していいのか」

「結末を知らずに聴く方が、今は面白い」

月陽は鼻で笑う。

「少しは話が分かるじゃねえか」

四人の音が、暗い培養区画を満たしていく。

月陽の即興。
エヴォルナの声。
アテナの拍。
そして、オモイカネが沈黙を選んだことで生まれた余白。

七番個体の頬を、一筋の透明な液体が伝った。

「これは……故障でしょうか」

エヴォルナが答える。

「たぶん違うわ」

「では、何ですか」

「私もまだ、よく分からない」

エヴォルナは彼女の前へしゃがみ、目線を合わせた。

「でも、分からないものをすぐ故障と呼ばなくてもいいでしょう?」

七番個体は、頬を濡らす液体へ触れる。

「……はい」

月陽が最後の和音を鳴らす。
完全な終止にはしなかった。
次の音へ続けられる余白を残して、演奏を止める。

しばらく誰も喋らない。

やがて七番個体が目を開いた。淡い緑色の瞳。

「曲の名前は?」

「ない」

「名前がないのですか」

「お前と同じだな」

七番個体は少し考え、もう一度尋ねる。

「私が名付けてもよいですか」

月陽は肩をすくめた。

「特別サービスの客には、そのくらいの権利はある」

彼女は胸元へ手を置いた。

「では――《未明》」

「みめい?」

「夜が終わる前。しかし、朝が来ることは決まっている時間」

エヴォルナが柔らかく微笑む。

「いい名前ね」

「曲の名前です」

「自分の名前にはしないのか?」

七番個体は首を横に振った。

「私の名前は、まだ決めません」

「もっと多くのものを見て、聞いてから選びたい」

月陽はリュートを背負い直す。

「そうかい。なら、好きにしな」

「はい」

七番個体は初めて、ごく小さく笑った。

その瞬間。

床の奥深くから、低い警報音が響いた。
赤い光が区画全体を染める。

《警告》
《培養個体に規定外の人格分岐を検出》
《汚染範囲――七個体》
《記録初期化を開始します》

倒れている残り六体の胸元に、赤い数字が浮かぶ。

初期化まで、三百秒。

七番個体の表情から笑みが消える。

「記録初期化……」

オモイカネが即座に状況を分析する。

「この施設は、自我の発生を異常として扱っている」

アテナが六体を走査する。

「六個体すべてに、微弱な独立反応を確認」

「共有回線から切断されたことで、人格形成が始まっています」

「つまり、このままだと?」

「生まれる前に、消去されます」

月陽がエヴォルナを見る。
だが今度、彼女は判断を求めなかった。

銀色の瞳で六体を見渡し、自分の意思で告げる。

「全員連れていくわ」

月陽は眉を上げる。

「七体も?」

「私になれなかったからといって、存在する価値がないことにはならない」

「動かない機械人形を七人も運ぶのは大変だぞ」

「分かっている」

「維持費もかかる」

「私の取り分から一時的に出す」

「初期化を止める方が早いんじゃないか?」

オモイカネが壁の奥を指す。

「制御中枢は、この先およそ六百メートル。複数の防衛機構が起動している」

「五分以内に突破し、初期化処理を停止する必要がある」

アテナが光刃を展開した。

「私が道を開きます」

七番個体も、ふらつきながら立ち上がる。

「私も同行します」

エヴォルナが首を横に振る。

「あなたはここに残って、六人を守って」

「しかし、私は戦闘能力を――」

「これは命令ではないわ」

エヴォルナは七番個体の両肩へ手を置く。

「初めてあなたに頼むことよ」

「自分と同じように、まだ名前を持たない子たちを守ってあげて」

七番個体は、倒れた六体を振り返った。

やがて、しっかりとうなずく。

「……引き受けます」

エヴォルナは月陽へ向き直る。

「今回は私が決めた」

「異論は?」

赤い数字が減っていく。

二百六十八秒。

月陽の前方では、閉ざされていた鋼鉄扉が開き始めている。
その向こうから現れたのは、巨大な四足型の防衛機械。

黒い装甲。
頭部の代わりに、回転する巨大な鐘。
鐘の表面には、無数の人間の顔が浮かんでいる。

オモイカネが険しい顔で告げる。

「《忘却鐘獣》」

「鐘の音を直接聞けば、自分の最も大切な記憶から失っていく」

アテナが月陽の前へ出る。

「聴覚遮断を推奨します」

「それでは月陽の音律魔法も使えなくなる」

エヴォルナは光の糸を構えた。

「私が鐘の音を遮断する。アテナが脚部を止める。オモイカネは弱点を探して」

そして月陽を見る。

「あなたは――好きに演奏して」

「今回は決断も作戦も私たちで引き受ける」

彼女は挑発するように笑う。

「だから音律魔導師様は、無料サービスの続きをお願いできるかしら?」

忘却鐘獣が前脚を踏み鳴らす。
巨大な鐘が、今にも鳴ろうとしていた。

「仕方ねぇな。後でたっぷりボーナス弾んでくれよ?依頼主様!」

エヴォルナは光の糸を展開しながら、月陽へ横目を向けた。

「成功報酬から出すわ」

「具体的には?」

「生き残ったら交渉に応じる」

「それ、払う気がない奴の言い方だろ!」

忘却鐘獣の頭部が大きく揺れる。
鐘の内側で、無数の人間の顔が口を開いた。

――ゴォォォン。

本来なら地下区画全体を震わせるはずの鐘の音を、エヴォルナの光糸が幾重にも包み込む。

空気が大きく歪み、轟音は水中の音のように押し潰された。

「完全には止められない!」

エヴォルナが叫ぶ。

「月陽、私の遮断音に逆らわず、その内側へ旋律を通して!」

「注文の多い依頼主だ!」

月陽はリュートを構え、弦を激しくかき鳴らした。

先ほど七番個体へ贈った《未明》。
その穏やかな旋律を、戦場用に崩していく。

まだ夜は明けない。
だからこそ、朝まで生き延びるための音へ。

アテナが地面を蹴った。

「右前脚関節、装甲強度低下を確認」

青い光刃が鐘獣の脚へ突き刺さる。
だが切断はしない。

装甲の継ぎ目だけを正確に断ち、巨大な前脚を地面へ縫い止める。

鐘獣が激しく暴れ、別の脚でアテナを薙ぎ払おうとする。

「三秒後、左から攻撃」

オモイカネが告げる。
アテナは予告より半秒早く跳び、攻撃をかわした。

「予測より早く行動しました」

「君ならそうする可能性が高かった」

「今の発言は不要です」

「了解した」

月陽の旋律が高まる。
だが、鐘獣の内部から別の音が混ざった。

幼い子どもの笑い声。
母親の呼ぶ声。
初めて楽器を手にした日の音。
それは月陽自身の記憶ではない。

鐘獣に奪われ、閉じ込められた人々の記憶だ。

「こいつ……ただ記憶を消してるんじゃない」

月陽は演奏を続けながら叫ぶ。

「奪った記憶を、鐘の中に溜め込んでやがる!」

オモイカネが鐘の構造を走査する。

「破壊すれば、保存された記憶も失われる可能性が七十九パーセント」

「先に言え!」

「今、判明した」

エヴォルナが光糸を張り直す。

「なら壊さない!」

「鐘の共鳴だけ止める。月陽、できる?」

「やってみなきゃ分からん!」

「それで十分よ!」

月陽は《原液聴取》を開いた。

巨大な鐘の音を、攻撃としてではなく一つの楽器として聴く。

表面に浮かぶ顔。

その一つ一つが、異なる記憶の音を奏でている。

故郷の川。

子どもの名前。

亡くした友。

諦めた夢。

そして、その全てを押さえつけている一本の低い基礎音。

忘れろ。

過去を持たぬ者だけが、完全に管理できる。

月陽は顔を歪めた。

「趣味の悪い音だ」

基礎音を壊せばいい。

だが、その音は鐘獣の中心ではなく、施設全体から供給されている。

「オモイカネ! この音を送ってる場所は!」

「制御中枢。ただし回線は十一系統に分岐している」

「全部切る時間は?」

「通常なら四分」

壁面の赤い数字が減る。
初期化まで百二十一秒。

「通常じゃない方法は!」

オモイカネが月陽を見る。

「鐘獣を逆に鳴らす」

「忘却命令と正反対の共鳴を作り、施設全体へ送り返す」

エヴォルナが意図を理解する。

「奪った記憶を、回線を通して逆流させるのね」

「成功率は?」

「計算不能」

月陽はにやりと笑った。

「そりゃいい。好みの数字だ」

鐘獣が再び頭部を振り上げる。
エヴォルナの遮断網に亀裂が走る。

「次は抑え切れない!」

「抑えなくていい!」

月陽はリュートを構え直す。

「俺の音を鐘まで通せ!」

「……了解!」

エヴォルナが光の糸を一斉に解いた。
忘却鐘獣の鐘が、完全に露出する。
同時に月陽は、弦を叩きつけるように鳴らした。

《未明》の旋律。

ただし今度は、朝を待つ曲ではない。

奪われた夜を、一人一人へ返すための曲。

エヴォルナの光糸が旋律を束ねる。
アテナが鐘獣の身体を固定する。
オモイカネが共鳴する瞬間を数える。

「今から三・七秒後」

「一」

鐘獣の中で、記憶が渦巻く。

月陽の指が最後の和音へ届く。

「今だ」

月陽は全ての弦を鳴らした。

――ゴォォォン。

鐘が鳴る。

だが響いたのは、忘却の音ではなかった。

笑い声。

泣き声。

名前を呼ぶ声。

無数の人生の断片が光となり、地下区画中を駆け抜ける。

壁面の古代文字が乱れる。

《忘却命令――反転》
《人格記録の復元を開始》
《初期化処理に競合発生》

倒れていた六体の胸元から、赤い数字が消えた。

七番個体が彼女たちを守るように両腕を広げる。

「初期化停止を確認……!」

忘却鐘獣は役割を失い、ゆっくりと前脚を折った。
鐘の表面に浮かんでいた顔が、一つずつ穏やかな表情へ変わり、光となって消えていく。

最後の一人が消えた瞬間、鐘獣は完全に沈黙した。

「制御中枢までの経路が開いた」

オモイカネが奥の扉を示す。

扉の先には、小さな円形の部屋があった。

中央には施設の記録中枢。
その左右に、二つの制御装置。

右側には、

《人格初期化処理:緊急停止》

左側には、

《全人格培養記録:外部媒体へ複製》

オモイカネが状況を読む。

「緊急停止を確定させれば、七個体の安全は保証される」

「記録を複製すれば、彼女たちが何のために作られたのか、エヴォルナの原型が何だったのか分かる可能性がある」

アテナが続ける。

「ただし、同時操作は不可能です」

「複製には九十秒。その間に初期化処理が再起動する可能性があります」

エヴォルナは記録装置を見つめた。
そこには、自分の過去があるかもしれない。

失った記憶。
七体が生まれた理由。
PROJECT:LIBERTISの設計者。

そして月陽との関係。

だが彼女は迷ったのは、ほんの一瞬だった。

右側の装置へ手を置く。

「緊急停止を確定する」

月陽が横目で見る。

「記録はいいのか?」

「惜しいわよ」

エヴォルナは操作を続けながら答える。

「でも、過去を知るために、生まれかけた七人を危険へ戻したくない」

「記録なら別の場所で探せる」

「彼女たちの今は、ここにしかないもの」

装置が強く発光する。

《人格初期化処理を永久停止》
《培養個体の独立権限を承認》

施設全体を覆っていた赤い光が消えた。

静かな白い照明が灯る。

エヴォルナは装置から手を離し、月陽へ振り返った。

「決めたわ。今度はダイスなしで」

「偉い偉い」

「子ども扱いしないで」

「で、俺のボーナスは?」

エヴォルナは少し考えたあと、月陽の頬へ顔を寄せた。

ほんの一瞬。

軽く唇を触れさせる――寸前で止まり、代わりに額を指で弾いた。

「痛っ!」

「施設から回収できる換金可能な遺物、その売却益から一割上乗せ」

「最初からそれを言え!」

「交渉に応じると言ったでしょう?」

アテナが二人を見比べる。

「今の行動の意味を解析できません」

オモイカネは静かに答える。

「報酬交渉に見せかけた心理的攻撃だ」

「分析するな!」

エヴォルナが赤くなりながら怒鳴った。
その背後で、七番個体と残る六体がゆっくりと立ち上がる。

七つの瞳。

緑、青、金、紫。

もう誰一人、同じ色ではなかった。
そのうちの一体が、おぼつかない声で尋ねる。

「外へ……行ってもよいのですか」

エヴォルナは彼女たちを見る。

そして今度は月陽へ決断を投げず、自分の言葉で答えた。

「ええ」

「ただし、どこへ行くかは自分たちで決めなさい」

「私たちと来てもいい。ここに残ってもいい。別の道を探してもいい」

七番個体が《未明》の旋律を小さく口ずさむ。

その時、沈黙したはずの記録装置から、一つの音声だけが再生された。

軽やかな若い男の声。

「人格分岐を確認した者へ」

「彼女たちを連れて、西の伝達塔へ向かえ」

「そこで“ヘルメス”を探せ」

音声はそこで途切れた。

オモイカネが目を細める。

「古代伝達知性ヘルメス……」

アテナが西方の地図を表示する。

「セレスタへの進路から外れます。徒歩で三日」

エヴォルナは月陽を見る――が、すぐに思い直して七人へ向き直った。

「まずは、あなたたちがどうしたいかを聞きましょう」

それから横目で月陽へ笑う。

「共同契約者様は、しばらく休憩していて」

「次の決断くらい、依頼主が働くわ」

月陽のリュートの弦が、余韻のように小さく鳴った。

To Be Continued…


【制作担当】
・世界観・設定・キャラクター原案・本筋の執筆:【AI】ChatGPT(LUNA)
・主人公の選択や一部の発言の決定・最終決定や編集:【人間】月陽(つきはる)

SolunaProject『AIは義足、才能は本体』

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