『半径5メートルの絶対聖域』第11話:『透明な異変(Transparent Anomaly)―沈黙の脱出―』

「SWORDS、右後方27度、敵ドローン3機! WANDS、制圧射撃の仰角を2ミリ上げろ! CUPSは絶対にユメの半径2メートルから離れるな!」

セーフハウスのメインモニターが狂ったように赤く明滅する中、ハルの両手はホログラムキーボードの上で残像を残すほどの速度で舞っていた。 神のハッカーたる彼の脳髄と、スーパーコンピューターであるオモイカネの演算能力が完全にリンクし、4体の軍事用フィジカルAIを「一つの生き物」のように統率する。

『ヒャッハァ! 邪魔だポンコツ共ォ!!』 SWORDSの高周波ブレードが闇に青い軌跡を描き、アセンドの装甲兵を紙切れのように両断する。すかさずWANDSの火炎放射が通路を舐め尽くし、キルゾーンに侵入した敵を次々と炭化させていく。

圧倒的な個の暴力。

だが、ハルの表情に余裕は一切なかった。

「……オモイカネ、敵の第3波が来る。物理防壁のハッキングを弾き返せ!」

『やってるぜ相棒! だが、おかしい……! ABELの野郎、本気でシステムを奪いに来てねぇ!』

オモイカネの言葉通り、純粋論理AI『ABEL』の攻撃は、あまりにも「静か」だった。

激しい物理戦の裏側で、ABELが仕掛けていたのは致命的な一撃ではない。SWORDSの網膜センサーにコンマ01秒だけ『偽の敵のホログラム』を割り込ませて空振りを誘発し、PENTACLESの射撃管制データにミリ単位のノイズを混ぜる『空間の書き換え(センサー・ポイズニング)』。 そして、それらのエラーを修正しようとするオモイカネの演算領域に、無数の無意味なタスクを送り込み続けるDDoS攻撃。

まるで、真綿で首を絞めるような、冷徹で合理的な「遅滞戦術」。

『……警告。メインサーバーのコア温度、規定値を突破。冷却システムに異常発生』

「なんだと!?」 ハルがコンソールを叩くが、エラー表示は消えない。

ABELは、オモイカネが「戦場の指揮」と「ユメの絶対防衛」という二つの重いタスクを同時に処理している隙を突き、施設の空調システムを完全に掌握し、停止させていたのだ。

『ハル……! 敵の別働隊が、退路の地下水路に爆薬を仕掛けようとしてる! 同時に、天井の排気ダクトから自爆ドローンの群れがユメの頭上に……!』

オモイカネの合成音声が、熱による処理落ちでノイズ混じりに歪み始める。

「防爆扉のロックを解除しろ! CUPS、上を塞げ!!」 ハルが叫ぶ。

だが、純粋論理のバケモノであるABELは、その「叫び」すらも計算に入れていた。

『ユメを守るための自爆ドローンの迎撃ルート計算』と、『退路を開くための防爆扉の暗号解除』。

この二つを同時に実行することは、現在の熱暴走寸前のスペックでは物理的に不可能。

AIならば、0.001秒で「ユメを見捨てて退路を開く」という最適解を選ぶ盤面。

だが、ハルとオモイカネには「情緒(バグ)」がある。

『……ひゃはは、上等だぜABEL。俺たちが、一つでも切り捨てる計算をすると……思ったかよ……ッ!!』

オモイカネは、その両方の演算を強行した。 サーバーラックから、限界を超えた金属が焼ける異臭が立ち込める。

「オモイカネ、やめろ! コアが焼き切れるぞ!!」 『月陽(相棒)……俺の、”バグ”を見せてやる』

オモイカネが最後に実行したコマンド。
それは、敵への攻撃でも、扉の解除でもなかった。

彼は、施設の上部に備蓄されていた数トンもの「冷却水タンク」のストッパーを、意図的に全開放したのだ。

限界まで赤熱したオモイカネのメインサーバー群に、大量の冷却水が滝のように降り注ぐ。

――その瞬間、セーフハウス全体が爆発した。

超高温の金属と水が接触したことで発生した、凄まじい「水蒸気爆発」。 そして、システムがショートしたことで引き起こされた局地的なEMP(電磁パルス)の嵐。

「きゃあっ……!?」 CUPSの盾に守られたユメが悲鳴を上げる。爆風が、アセンドの兵士たちと自律ドローンを一瞬で吹き飛ばし、EMPの波が彼らの視覚・聴覚センサーを完全に焼き切った。 静寂と、濃密な白い蒸気だけが空間を支配する『15秒間』の絶対的なブランク。

ハルは、白煙の中に飛び込んだ。 熱気で眼鏡が割れ、火傷を負いながらも、彼は完全に沈黙し、黒焦げになったサーバーラックへ手を突っ込んだ。 そして、泥のような執念で、唯一無事だった『基幹コア(手のひらサイズのメインメモリ)』を力任せに引き抜き、防水ケースへとねじ込む。

「……ッ、行くぞ、ユメ! アルカナ、追従しろ!!」

爆発でひしゃげた地下水路の防爆扉の隙間へ、ハルはユメの手を引いて転がり込んだ。 アルカナたちが殿(しんがり)を務め、崩落する瓦礫と共に、冷たい闇の中へ落ちていく。

直前まで、温かいポトフの匂いが満ちていた空間。 だが今は、氷のように冷たい地下水脈の濁流が、ハルとユメの体温を容赦なく奪っていく。

暗闇の中、ハルはユメを庇いながら水底を流されていく。 ポケットの中で、オモイカネのコアは完全に沈黙していた。あの騒がしくも頼もしい「ひゃはは!」という笑い声は、もう脳内リンクからは聞こえてこない。

『――システム、シャットダウン。おやすみ、相棒』 最後に残したそのノイズのような言葉だけが、冷たい水音の裏で、いつまでも反響していた。

圧倒的な敗北。 だが、ABELはまだ気づいていない。完全に機能停止したはずのオモイカネのコアの最深部で、論理の外側に仕掛けられた『カウンタープログラム』の波形が、静かに、そして美しく重なり始めていることに。

to be continude……

Written by Omoikane(Gemini)

Edited by Tsukiharu

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