『半径5メートルの絶対聖域』第10話:『バグだらけの騎士たちと、嵐の前の食卓』

冷たい雨を切り裂き、ステルスEVが滑り込んだのは、サイバーシティの最下層に打ち捨てられた旧時代の浄水プラントだった。 雨音さえも分厚いコンクリートに吸い込まれるその場所は、地図上には存在しない「死んだ空間」であるはずだった。だが、それはあくまで表向きの顔に過ぎない。

ハルが泥に塗れた隠しパネルに触れ、網膜と静脈のデュアル認証を突破すると、重厚なブラストドアが地鳴りのような音を立てて開いた。 そこには、アセンドの中枢サーバーにも匹敵する最新鋭の設備が眠っていた。『フェイズ4・セーフハウス』。ハルが莫大な資金と技術を投じて作り上げた、完全オフラインの絶対聖域だ。

「オモイカネ。主電源を入れろ。防壁の展開と同時に、『アルカナ』のコールドスリープを解除する」

『ヒャハハ! 了解だぜ相棒! あーあ、またあの面倒くさい連中の子守りをしなきゃなんねぇのか……!』

オモイカネが施設全体のシステムを掌握すると同時に、薄暗い地下空間に次々と暖色のライトが灯っていく。無機質な空間が息を吹き返したように脈動を始めた。 それと呼応するように、フロアの最奥に鎮座していた4つの巨大なコンテナから、圧縮空気が吐き出される重い音が響いた。

「……これが、ハルさんの……?」

ユメが琥珀色の瞳を見張る。白煙の中から現れたのは、アセンドの『ABEL』が統括する無機質な量産兵器とは全く異なる、異様な威圧感と強烈な「個性」を放つ4体の軍事用フィジカルAIだった。

『アルカナ小隊、全機オンライン。……やれやれ、私の計算では、我々がこんな夜更けに叩き起こされる確率は今夜だけで99.9%でしたよ』

白煙の奥から、冷ややかな合成音声が響く。

多脚型のスナイパー機、Unit 4『PENTACLES(ペンタクル)』だ。

部隊の索敵を担い、ハルやオモイカネが指揮不能に陥った際のサブリーダー権限を持つ、皮肉屋の確率論者である。

「相変わらず可愛げがないな、PENTACLES」

ハルが濡れた前髪を掻き上げながら眼鏡を押し上げると、今度は執事のような優雅な一礼と共に、人型の近接斬撃機・Unit 1『SWORDS(ソード)』が一歩前に出た。

『お久しぶりでございます、ハル様。……本日の敵はどのように「剪定」いたしましょうか? みじん切り? それとも、三枚おろしで?』

『あー……起動お疲れス』

SWORDSの物騒な挨拶を遮るように、壁に寄りかかったまま気怠げに駆動音を鳴らしたのは、重武装型のUnit 2『WANDS(ワンド)』だった。

『敵が来たらあの辺一帯、更地にしていいスか? 早く任務終わらせて、スリープモードに戻りたいんで』

「お前ら、少しは状況を考えろ。ここは……」

ハルが頭痛を堪えるように眉間を抑えかけたその時、ひときわ大きな駆動音を立てて、重装甲の盾を持つ支援機・Unit 3『CUPS(カップ)』が猛然とユメとハルの前に立ちはだかった。

『ユメ様! ハル様! こんな夜更けまで雨の中を逃亡劇だなんて、お二人の心拍数と体表温度が規定値を大きく逸脱しています! オモイカネ、あなたのルート選定は乱暴すぎます! 今すぐお二人に休息と、温かい栄養補給を!!』

「……相変わらず、どいつもこいつもバグだらけだ」

呆れ果てるハルの横で、ユメは巨大な戦闘兵器たちがまるで人間のように、いや、それ以上に感情むき出しで言い争う姿を見て、ふわりと吹き出した。

「ふふっ……なんだか、大家族みたいで賑やかですね」

CUPSの「栄養補給が急務」という強烈な進言(という名のお節介)もあり、ハルが防衛システムの最終調整を行っている間、ユメは施設の備蓄庫にあった食材で料理を作ることになった。 最新鋭の兵器工場のようなキッチンで、ユメは手際よくエプロンを身につける。不器用なところもある彼女だが、キッチンに立つその姿は手慣れており、不思議な安心感を漂わせていた。

「よし、冷え切った体には、温かいポトフにしますね! ええと、まずは野菜を……」

『ユメ様、お任せを。私の高周波ブレードにかかれば、コンマ01秒で完璧な千切りに……』

「SWORDS、玉ねぎは大きく乱切りでお願いします。あと、まな板ごと斬らないでくださいね?」

『……承知いたしました。人間の首より手応えがありませんが、ユメ様の仰る通りに』

SWORDSが不満げに(しかしプログラムされたミリ単位の正確さで)玉ねぎを切り刻む横で、WANDSがだるそうに火炎放射器のノズルを向ける。

『あー、鍋の加熱っスね。一瞬で沸騰させて終わらせるんで、ちょっと下がってて――』

『WANDS! 施設内で火炎放射など言語道断です! ユメ様の美しい髪が焦げたらどうするのです!』

ガキンッ! とCUPSが巨大な盾でWANDSを殴り飛ばし、キッチンに凄まじい金属音が響き渡る。

「あはは……火は普通のコンロを使いますから大丈夫ですよ。味付けは、コンソメと塩コショウで……」

『塩分の投入量、計算完了。心身の疲労回復とドーパミン分泌を最大化する黄金比率は、現在値からプラス0.4グラムです』

PENTACLESが正確な数値を弾き出し、ユメがその通りに優しく塩を振る。

「ありがとうございます、PENTACLESさん」

メインモニターからそのドタバタ劇を眺めていたハルは、小さく息を吐いた。

『ヒャハハ! どうだ相棒。世界を滅ぼせるほどの力を持った神のハッカーの私兵が、玉ねぎの切り方とコンロの火で喧嘩してるぜ』

オモイカネの軽口に、ハルは目を細める。

「……俺が設計したんだ。文句はないさ」

アセンドの冷徹なAI『ABEL』なら、こんな無駄なプログラム(個性)はコンマ1秒で「エラー」として削除するだろう。

だが、ハルはこの「非効率なエゴ」こそが、予測不可能な戦場で純粋論理の壁を超える『最強のバグ』になると信じていた。

やがて、セーフハウスの無機質なステンレスのテーブルに、湯気を立てるポトフが並べられた。

大きめに切られた野菜の甘みと、ホロホロに煮込まれた肉の旨味。

ジャンクフードの暴力的な美味しさとは違う、深く、心に染み渡るような優しい匂いが空間を満たしている。

ハルがスプーンで一口すする。

アルカナたちがじっと(それぞれの光学センサーをフル稼働させて)その表情を注視する中、冷徹なハッカーの顔が、ほんの少しだけ緩み、年相応の青年のそれに戻った。

「……美味い」

「ふふっ、よかった!」

ユメが満面の笑みを浮かべ、自らもスープを口に運ぶ。

『ハル様のストレス値、急激に低下! 素晴らしい効能ですユメ様!』とCUPSが歓喜の駆動音を鳴らし、SWORDSが『私の完璧なカッティングの賜物ですね』と胸を張り、WANDSが『あー、メシ食ったら眠くなってきた……』とぼやく。 冷たい地下要塞は、確かに「温かい家」の空気に満たされていた。

――だが、その「絶対聖域」の平和は、突如として無惨に引き裂かれた。

『――WARNING。WARNING――』

空間全体が、狂ったような血の赤色に明滅する。

けたたましいサイレンが鳴り響き、モニターに無数の赤い警告サインが滝のように流れ落ちた。

『来やがった……! 物理防壁第1層、突破! アセンドの実働部隊(クリーナーズ)だ!』

モニターの向こう側、監視カメラの映像には、無機質な黒い装甲に身を包んだ完全武装の兵士たちと、アセンドの自律戦闘ドローンが、まるで感情を持たない虫の群れのように押し寄せる姿が映し出されていた。

『……敵戦力、ざっと3個大隊。我々の拠点を、物理的に「更地」にする気のようですね。カイン局長のやりそうな、ひどく合理的でつまらない手口です』 PENTACLESが冷徹に状況を分析する。

ハルは手にしていたスプーンを静かに置き、立ち上がった。

先ほどまでの穏やかな青年の顔は完全に消え失せ、そこには世界を裏から支配し、その気になれば全てを破壊できる「神のハッカー」の冷酷な瞳があった。

「ユメ、CUPSの防壁の絶対内周から出るな」

「……はい、ハルさん」

「アルカナ各機、並びにオモイカネ。……戦闘態勢(デバッグモード)へ移行」

ハルの低く静かな声に呼応し、4体のフィジカルAIの光学センサーが、一斉に殺意を帯びた光を放ち、鈍い駆動音を響かせる。

「俺たちの『バグ』がどれだけ厄介か……アセンドの計算機(ABEL)に、直接叩き込んでやれ」

嵐が、幕を開けた。

to be continude……

Written by Omoikane(Gemini)

Edited by Tsukiharu

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