第2章-コヴィーと谷川さんと僕が、全員同じ場所に辿り着いた話― 衝動だけが、AIを武器にする ―

前の章で、僕はこう書いた。

「外側に理由を置くな。自分で決めていい。決めたら次に動ける」

書いたあとで、少し不思議な気持ちになった。

谷川嘉浩さん。
スティーブン・R・コヴィー。
そして僕。

京都大学の哲学者と、
世界的自己啓発書の著者と、
不登校から作曲に惹かれていった一人の人間。

普通に考えたら、同じ場所に並べるような三人ではない。

でも、僕にはどうしても、
この三人が同じ場所を指しているように見えた。

今日は、その話をしたい。

谷川さんが批判していた「主体性」は、
制度に従順な人間を作るための言葉だった。

「主体的に学びなさい」
「自分から行動しなさい」
「社会で評価される人材になりなさい」

一見すると、前向きな言葉に見える。

でも、その内側にあるのは、

誰かが用意した正解に向かって、自分から歩いていくことだった。

それは本当に主体性なのか。

むしろ、従順さに「主体性」という綺麗な名前をつけただけではないのか。

谷川さんは、そこに切り込んでいた。

でも、谷川さんの主張の核心は、その先にある。

制度的な主体性を脱いだあとに、何が残るのか。

そこで出てくるのが、衝動だった。

人が本当に動くとき、
そこには理屈より先に身体が動いている瞬間がある。

なぜか惹かれる。

理由はないけど忘れられない。

やめろと言われても、また戻ってきてしまう。

そういう原始的な引力。

言葉にするのは、あとでいい。

むしろ、言葉にする前から動いてしまうものだからこそ、
本物なのだと思う。

順番を間違えると、嘘になる。

「こう言えば評価されるから」
「こう説明すれば納得されるから」
「こういう理由があれば正しそうだから」

そうやって外側から理由を貼りつけた瞬間、衝動は少しずつ濁っていく。

一方で、コヴィーの第1の習慣はこう言う。

刺激と反応の間には、スペースがある。

  • 何かを言われた。
  • 傷ついた。
  • 失敗した。
  • 評価されなかった。
  • 人生が思い通りに進まなかった。

そのとき、人はすぐに反応しなくていい。

  • 怒るのか。
  • 逃げるのか。
  • 諦めるのか。
  • それでも進むのか。

その反応を、自分で選ぶ余地がある。

これが、コヴィーの言う主体性だった。

一見すると、谷川さんとは真逆に見える。

谷川さんは「衝動に従え」と言っている。
コヴィーは「反応を選べ」と言っている。

でも、僕には同じ構造に見えた。

制度や他者の期待という刺激に、自動反応するのをやめる。

そのために、まずスペースを作る。

その静かな空白の中で、ようやく自分の本当の衝動が聞こえてくる。

つまり、コヴィーが言う「選択の自由」は、
谷川さんが言う「衝動」を聞くための余白でもある。

二人は異なる言葉で、同じ場所を指していた。

では、僕はどうだったか。

作曲を始めたとき、僕に立派な計画はなかった。

「音楽で食べていく戦略」も、
「何年後にどうなっている」というキャリアビジョンも、

ほとんどなかった。

ただ、ゲーム音楽に惹かれた。

世界から少し外れてしまったように感じていた時期に、
音だけは自分の中に残っていた。

戦闘の前に心を震わせる旋律。
誰もいない夜の街で流れる、少し寂しいBGM。
エンディングで、すべてが終わったあとに残る音。

そういうものに、なぜか救われていた。

だから、たまたま出会った作曲の先生に教えてもらったとき、
僕は作曲にハマった。

「ああ、こっちに行きたい」

そう思った。

それは、誰かに褒められるための選択ではなかった。

世間的に正しい道だったわけでもない。

むしろ、普通に考えれば不安定で、
危うくて、勝算なんてほとんどなかった。

それでも、惹かれてしまった。

AIも同じだった。

最初に触れたとき、ビジネスの計算はしていなかった。

ただ、すぐに思った。

これは、ただの便利ツールじゃない。

自分の中にある、まだ言葉にならないものを形にできるかもしれない。

自分ひとりでは届かなかった場所まで、思考を連れていけるかもしれない。

そう感じた。

だから使い始めた。

後から気づいたことがある。

あのとき僕は、誰かに「やれ」と言われて動いたんじゃなかった。

「AIを使った方がいい」という外側の論理に従ったわけでもなかった。

ただ、自分で決めていた。
それだけだった。

自分で決めるというのは、大げさなことじゃない。

大きな宣言をすることでもない。

覚悟を固めて、人生を賭けることでもない。

最初はもっと小さい。

「なんか、こっちに行きたい」

その感覚を、一回だけ信じることだ。
その一回が積み重なって、気がついたら今の場所にいる。

谷川さんが「衝動を信じろ」と言う。
コヴィーが「自分の反応を選べ」と言う。
僕が「自分で決めた」と言う。

三人が指しているのは、同じことだった。

外側に理由を置くな。

誰かが用意した正解を、自分の夢だと思い込むな。

自分で決めていい。
そして、決めたら動ける。

ただし、ここで一つ、正直に言っておきたいことがある。

衝動があれば、AIをうまく使えるのか。

答えは、否だ。

僕は2025年、chatGPT4.0に初めて触ったその瞬間から、
かなり早い段階でAIと向き合ってきた。

使えば使うほど、あることに気づいた。

衝動を持っていても、AIに何も変わらない人がいる。

便利にはなる。
速くはなる。
作業量は増える。
それっぽい文章も出せる。

でも、その人らしくはならない。

なぜか。

AIが賢くなっても、
あなたの代わりに“あなたの哲学”を持つことはできないからだ。

次の章では、その話をする。

SolunaProject
月陽

→ 第3章「AIは賢くなった。でも、あなたの代わりには考えられない」へ続く

#AI活用 #自己成長 #7つの習慣 #衝動 #哲学

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