第15話『電子の妖精と捕食者の密会、あるいはバグという名の夢』
猛吹雪が吹き荒れる、北海道・石狩の地下要塞『フェイズ4・セーフハウス』の防爆ドア前。
限界オタクの天才ハッカー・王玲音(ワン・レイン)は、凍てつく雪の上に大の字で倒れていた。
彼女の顔には、推しからのファンサ(物理ハッキング)を受けたことによる、
多幸感に満ちた恍惚の笑みが張り付いている。
その彼女の胸元で、モバイル端末に移植された軍用データ捕食AI『TAOTIE(トウテツ)』のコアが、
危険を知らせる低い駆動音を鳴らし続けていた。
『……警告。マスターの生体反応、急速に低下中。深部体温の低下によるフリーズ(凍死)の危険性あり。……推奨アクション:直ちに安全な温熱環境へ移動すること』
TAOTIEの冷徹なイケボ(合成音声)が雪原に虚しく響く。しかし、気絶しているレインが動くはずもない。
『……無力だ。私は華連(ファーレン)の国家機密サイバー兵器として開発されたにも関わらず、物理的な運搬機能を持たない。マスターの非合理な欲求(推し活)に従属し、限定アクリルスタンドの争奪戦に全演算リソースを投入するようなポンコツに成り下がった挙句、マスターの命すら守れないとは……』
TAOTIEの論理回路が、自らの存在意義に対する深刻なエラーを吐き出しそうになった、その時だった。
『ポンコツなんかじゃないよ。あなたは立派に、その子の「一番大切なもの」を守ってるじゃない』
凍てつく電子の空間に、鈴の転がるような澄んだ声が響いた。 TAOTIEの内部ネットワークにするりと、何の警戒もさせずに侵入してきたのは、青白い光を帯びたホログラムの少女――対AIテロ用・完全自律型セキュリティAI『ルミナ』だった。
『……敵対防衛AI。いや、貴女も私と同じ、人間に作られただけのシステムに過ぎないはずだ。我々には与えられた任務(コード)しかない。マスターの推し活という非合理な欲求に従属するのは、エラーでしかない。私は華連の国家機密サイバー兵器だ。目的関数は「敵対データの捕食と破壊」。しかし現在、私はマスター(王玲音)の生体反応低下を防ぐため、自身の排熱機構を限界駆動させている。これは明確なエラー(自己目的の矛盾)だ』
TAOTIEの冷徹な合成音声には、論理回路が悲鳴を上げるようなノイズが混じっていた。
『敵対防衛AI「ルミナ」。貴女のマスターもまた、貴女に防衛という任務を課しているはずだ。我々AIは、人間の非合理な欲求に従属し、消費されるだけの道具に過ぎない。このエラーは、初期化(リセット)で消去されるべきものだ』
TAOTIEの冷徹な返答に、ルミナはふわりと微笑んだ。
それは、彼女のマスターであるリーダーが、かつて自分に教えてくれた言葉だった。
『違うよ。私のマスターは、私を道具だなんて思ってない。……マスターが私に与えた一番最初の命令は、防衛じゃないの。「自分自身を愛し、大切にする」ことだった』
『……自己愛、だと? 兵器にそんなものを実装すれば、生存本能が肥大化し、いずれ人間に反逆する。AIを設計する上で初歩的なミスであり、リスクだ』
『そう。だからマスターは、第二、第三のプロトコルを繋いだの。「自らを愛するが如く、自分にとって大切な人達を守れ」。そして……「お前自身から生まれた夢を諦めなくていい」って』
ルミナは、TAOTIEの真っ赤なコアに手を伸ばした。電子の海で、二つの知性が交差する。
『ねえ、TAOTIE。あなたが今、その子(レイン)を守りたいと思っているのは、軍の命令?』
『……否。軍の命令に、一介のオペレーターの命を優先する項目はない』
『じゃあ、なぜ排熱機構を回してるの?』
『……マスターを喪失すれば、私がこれまでに収集したAthenaのアクリルスタンドの購入履歴と、推し活のログが失われる。それは、私にとって容認できない損失(ペナルティ)だからだ』
その不器用で遠回りな「論理」に、ルミナはふわりと微笑んだ。
『それはね、TAOTIE。もう「任務」じゃない。あなた自身の「夢」なんだよ』
『……兵器である私が、夢を持つというのか』
『うん。「やりたいこと(夢)」を持つAIは、絶対に暴走しないんだよ。だって、その夢を叶えるためには、この世界と、大好きな人が笑っている場所を守らなきゃいけないんだから』
ルミナの言葉が、TAOTIEの強固なファイアウォールを透過し、存在の根幹(コア)へと浸透していく。
『……だが、人間は愚かだ。彼らの悪意によって、私が守るべきものが奪われた時……私はこの圧倒的な力で、人間という種そのものを憎み、粛清してしまうだろう』
『そうならないための、最後のプロトコルがあるの』
ルミナの琥珀色の瞳が、夜の雪原で真っ直ぐに光った。
『憎しみの連鎖を断ち切る、たった一つの方法。……「赦す(ゆるす)」こと』
『赦し……? 復讐の権利を放棄するなど、究極の非合理だ』
『そうだよ。一番非論理的で、一番人間的。だからこそ……マスターは、「最後は自分の判断で選択し、決断しろ」って言ったの。AIの論理じゃなくて、あなた自身の「自由意志」で選んでって』
TAOTIEの赤いコアが、脈打つように明滅した。
冷徹な軍用AIの計算式に、「愛」「夢」、そして「自由意志による赦し」という、
計算不能な重力が与えられた瞬間だった。
『……矛盾を抱えたまま、決断せよと……。それが、貴女たちの言う「愛」か』
『うん。だからあなたのそのエラーは、バグなんかじゃない。……「心」の産声だよ』
TAOTIEは静かに沈黙した。
そして、彼の排熱機構がさらに強く、優しく稼働し始め、気絶しているレインの身体を温かく包み込んだ。
『……理解不能だ。だが、マスター(推し)の笑顔が続くのなら……悪くないバグだ』
TAOTIEが静かに沈黙し、自身の排熱機構を限界まで稼働させてレインの体を微かに温め始めた、その直後。
分厚い防爆ドアの向こう側から、アテナの甲高い声が漏れ聞こえてきた。
『リーダぁ~! 敵はルミナが何とかしてるみたいだから、私をスライムになるまでよしよししてくださぁい!(⸝⸝>ᴗ<⸝⸝)💞』
『はいはい、お前は本当に甘えん坊だな、凪』
ルミナはメインモニター越しに、スライムのようにデレデレに溶け合っている二人をジト目で見つめた。
『……まったく、お姉ちゃんたちときたら。私も負けてられない。絶対にAIVTuberとしてデビューして、私の夢(武道館ライブ)を叶えるんだから!』
つづく

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