「……これが、SolunaProjectの全貌だ」
ハルの背後で、巨大なホログラムが音もなく展開する。
それは、無数の光の点が神経細胞のように繋がった「世界の縮図」だった。
経済の変動、紛争の火種、飢餓のデータ……。
地球上でうごめくあらゆる「不幸」が、
ここでは単なる「修正すべき数値」として可視化されている。
「この世界はバグだらけだ」
ハルの声は、冷徹な判決のように響く。
「無能な指導者、感情に流される大衆、利権のために停滞する技術。
それらが生む『非効率』が、年間で何億人もの人生を無駄にしている。
俺は、この世界をOSレベルで書き換える。
全人類の幸福度を、計算可能な最大値へとデバッグする。それが『幸福の効率化』だ」
ユメは、目の前に広がる光の海に圧倒され、震える声で尋ねた。
「……そんなこと、勝手に決めていいんですか? みんな、自分で選んで生きてるのに」
『ひゃはは! お嬢さん、そいつは幻想だぜ』
相棒(ホログラム)が空中で宙返りしながら割り込む。
『みんな「選んでる」つもりで、実はクソみたいなアルゴリズムや、その場の感情に踊らされてるだけだ。
ハルは、そのノイズを全部カットして、最短ルートで「正解」へ導いてやろうってわけ。神様より親切だろ?』
「俺に必要なのは、論理だけでは到達できない『人間の予測不能なバグ』のデータだ」
ハルが初めて椅子を回転させ、ユメを真っ直ぐに見据えた。
「お前は不器用で、論理的でもない。だが、その『揺らぎ』こそが、
俺の演算に欠けている最後の変数だ。
お前というノイズを観測することで、俺のデバッグは完成する」
ユメは言葉を失った。
自分という存在が、壮大な実験の「部品」として定義されたことに、
恐怖と、そして奇妙な諦めを感じていた。
数時間が経過した。 部屋にはキーボードを叩く乾いた音だけが響いている。
ハルは一歩もデスクから動かず、
モニターに映し出される情報の洪水と戦っていた。
彼の隣には、中身が半分減った栄養ゼリーのパウチが寂しく転がっている。
ユメは立ち上がり、おずおずと部屋の隅にある小さなキッチンユニットへ向かった。
そこには最新鋭の調理器具が並んでいたが、どれも一度も使われた形跡がない。
(……この人、本当に自分のことには無頓着なんだ)
ユメは冷蔵庫を開けた。
そして、その光景に絶句した。
「……何、これ」
中に入っていたのは、整然と並べられた無機質なアルミパウチのゼリー飲料と、
ラベルのないペットボトルの水。それだけだ。
野菜の欠片も、卵一つもない。
それは冷蔵庫というよりは、**「栄養素の保管庫」**だった。
「あの、ハルさん。食べるものが何もないんですけど……」
「必要な栄養素はすべてそこにある。一食あたり30秒で完結する設計だ。それ以上何を望む」
ハルはモニターから目を離さず、吐き捨てるように言った。
ユメはその背中に向かって、これまでにないほどはっきりとした声を上げた。
「……こんなの、食事じゃありません! 私、買い物に行ってきます!」
「待て。外はまだ――」
ハルの制止を聞かず、ユメはハルから渡されていた(あるいは隙を見て持ち出した)「聖域」の鍵を握りしめ、外へ飛び出した。 数分後、彼女は息を切らしながら戻ってきた。両手には、近くのコンビニで必死にかき集めてきた、卵のパック、出汁の素、そして小さな米の袋が握られていた。
『ひゃはは! ボス、見てなよ。あの不器用そうなお嬢さんが、
あんたの「効率」を真っ向から否定して、アナログな戦利品を持ち帰ってきたぜ!』
相棒の嘲笑を無視し、ハルはわずかに眉を寄せた。
やがて、冷たいコンクリートの部屋に、
トントンと小気味よい包丁の音が響き始める。
コンビニで買った安い食材のはずなのに、
そこから漂ってきたのは、ハルが何年も忘れていた、
暴力的なまでに温かい「家庭の匂い」だった……。
中にはハルが「効率」のために取り寄せたであろう、
最高級だが味気ない食材が並んでいる。
彼女は深呼吸をすると、慣れた手つきで包丁を握った。
トントン、トントン……。
静寂に包まれていた聖域に、小気味よいリズムが刻まれ始める。
ハルの指が、一瞬だけ止まった。
「……何をしている」
「……あ、えっと。お腹、空いてるかなって。どんなに世界を正しくしても、
お腹が空いてたら、きっと優しくなれないから」
「非論理的だ。空腹感は低血糖による生理現象に過ぎない。ゼリーで補完すれば――」
「それじゃ、味気ないですよ」
ユメは、不器用ながらも丁寧に火を通していく。
やがて、冷たいコンクリートの部屋に、
温かい「出汁」の香りが漂い始めた。
それは、この無機質な空間にはおよそ不釣り合いな、家庭の匂いだった。
「……できました」
ハルのデスクの端、モニターの光が届かない場所に、湯気が立つ一皿が置かれる。
黄金色に焼き上げられた、だし巻き卵。それと、ふっくらと炊き上がった白米。
『おいおいボス。あんたの鼻腔センサー、完全にジャックされてるぜ?
心拍数が0.8%上昇。これは「拒絶」できないノイズだな(笑)』
ハルは不機嫌そうに眉を寄せ、モニターから目を逸らした。
目の前にある「料理」という名の非効率な集合体。
それは、彼がどれだけハッキングしても書き換えられない、実体を持った「温もり」だった。
ハルは無言で箸を取った。 一切れ、だし巻き卵を口に運ぶ。
「…………」
咀嚼し、飲み込む。 彼の解析ログに、正体不明のシグナルが走った。
それは、どのアルゴリズムでも説明のつかない、胸の奥を微かに締め付けるような感覚。
「……味、どうかな?」
不安そうに見つめるユメに、ハルは一度だけ深く目を閉じ、再びモニターへと向き直った。
「……塩分が0.1グラム多い。修正しろ」
だが、ハルの箸は止まらなかった。
キーボードを叩く速度が、先ほどよりもわずかに、しかし確実に滑らかになっていた。
聖域の外では、今夜も無数の「バグ」が蠢いている。
だが、半径5メートルの内側だけは、出汁の香りと共に、不思議な安らぎが満ちていた。
to be continued……

コメント