『半径5メートルの絶対聖域』第13話:泥濘のジャンク・ファイアウォール

ノイズの産声と、迫る限界

『 > Yo, Aibou. (よぉ、相棒) 』

ロスト・セクタの最下層。

ホコリと油の匂いが立ち込めるハルの旧工房(アトリエ)で、
ノイズまみれの真空管モニターに浮かび上がった、たった一行の緑色のテキスト。

「……おせぇよ、馬鹿野郎」

爆風の煤と血にまみれたハルの顔に、不敵な笑みが戻る。
だが、再会の余韻に浸る時間はなかった。

「ひっ……はぁっ……、こほっ……!」

古いソファに寝かせていたユメの呼吸が急激に浅くなり、ひどく苦しそうな咳が工房に響く。

ハルが急いで蹴り飛ばした旧式のオイルヒーターの熱だけでは、
氷のように冷たい地下水脈で奪われた体温と、
極限状態のストレスによる衰弱は止められない。

ハルは強く舌打ちをし、モニターから辛うじてポータブル電源に繋いだオモイカネのコアをもぎ取った。

「……オモイカネ、生きてるならナビを回せ。あの『ヤブ医者』のところに行くぞ」

『 > Rgr. (了解) 案内シマス、監督。 』

音声モジュールがイカれているため、文字だけの素っ気ない返事。

ハルは再び意識のないユメを背負い、迷路のような廃棄ブロックのさらに奥深く――
重低音が響くスラムの最深部へと駆け出した。

闇医者と慈愛のホログラム

むせ返るような薬品と機械油の匂いが混ざり合う空間。

ハルが叩き割るように開けた重い鉄扉の先には、
無数のアナログ計器と旧式サーバーが壁を埋め尽くす怪しげな診療所があった。

「……随分と無様な姿だな、ハル。アッパーシティの空調は、お前の肌には合わなかったか?」

診察台の奥で、使い込まれた白衣を羽織り、旧式のARグラスを光らせる初老の男――
ハルとカインの共通の師であり、元アセンドのトップ研究者、Dr. Grayが葉巻の煙を吐き出していた。

「御託はいい……ユメを、助けてくれ……ッ!」

膝から崩れ落ちるハルの前に、ふわりとセピア色のホログラムが舞い降りる。

Dr. Grayの相棒であるオペレーターAI『SOPHIA』だ。

「――バイタル低下、重度の低体温症と急性ストレス障害です。ドクター、緊急処置を」

SOPHIAの慈愛に満ちた、しかし毅然とした声が響く。
シスターのような彼女の的確な指示で、ユメはすぐさま医療用ポッドへと運ばれた。

不器用な再起動とオカンの雷

ユメの顔に少し血の気が戻り、ハルが壁にもたれて深く息を吐き出した頃。

「で? お前がぶら下げてるその不格好なガラクタはなんだ?」

Dr. Grayの視線の先には、ハルが片手で抱えているオモイカネのコアがあった。

焼け焦げた基盤に、無理やり太い銅線がハンダ付けされた無惨な姿だ。

「……俺の相棒だ。純粋論理(アベル)のバケモノに焼き切られた。アンタのところのジャンクパーツ、全部使わせてもらうぞ」

「ふん。論理には、物理の『熱』と『ノイズ』で対抗するしかないってことか。……好きにしろ」

Dr. Grayが顎でしゃくった先には、真空管や巨大な物理リレーといった、化石のようなアナログパーツの山。

ハルは再び泥だらけの手で旧式のハンダゴテを握り、
Dr. Grayの機材を借りてオモイカネの本格的な修復(魔改造)に取り掛かる。

数時間後。

ついに音声モジュールが繋がり、やかましい電子音声が診療所に響き渡った。

『 > ぎゃははは! 音声回復! ってか泥臭ぇ! なんだこの真空管まみれの不格好なボディは! 最高じゃねぇか相棒! 』

「……ちょっと、そこのポンコツAI。病人の前で騒がないで頂けますか?」

復活のテンションをぶち壊すように、SOPHIAのピシャリとした冷ややかなツッコミが入る。

『 > ( ゚Д゚)ヒッ……す、スンマセン…… 』

モニターに映ったオモイカネの顔文字に、ハルはたまらず吹き出した。

Dr. Grayも呆れたように葉巻を咥え直す。

足りないピースと闇医者の忠告

笑い声が収まった後、ハルはゴツい真空管の『泥臭い自我防壁(ジャンク・ファイアウォール)』を物理増設されたオモイカネと向き合う。

「……これでアベルの飽和攻撃は耐えられる。あとは、オモイカネのトラフィックを限界突破させて、あいつのコアに直接叩き込む」

医療ポッドで静かな寝息を立てるユメを見つめ、ハルは反撃のシナリオを口にする。だが――

「……だが、そのままのお前の”相棒”じゃ、また負ける。いや、今度こそ完全に死ぬぞ」

Dr. Grayが短くなった葉巻を灰皿に押し付けながら、冷酷な事実を突きつけた。

「いいか、ハル。お前が作ったその『泥臭い防壁』は、あくまで盾だ。アベルの純粋論理を突き破る『槍』にはならない。限界までノイズをぶつけたところで、あいつの演算速度なら数秒でパターンを解析し、無効化するだろう」

ハルは無言で唇を噛む。

分かっていた。アベルとカインの恐ろしさを誰よりも知っているのは、他でもないハル自身だ。

「……お前たちには、決定的な『バグ』が足りない。アベルが絶対に計算できない、致命的なまでの非合理がな」

Dr. Grayの言葉が、重く診療所に響く。

SOPHIAが心配そうに見つめる中、ハルは血と泥に汚れたコートを再び羽織った。

「……オモイカネ、行くぞ。俺たちに足りない『非合理』を探しに」

『 > Rgr. (了解) どこに行くんだ、ハル? 』

「古巣のジャンクヤードと、闇市だ。この底辺(ロスト・セクタ)をひっくり返してでも、アベルを殺すための『極上のガラクタ』を見つけてやる」

眠るユメをDr. GrayとSOPHIAに託し、ハルは分厚い鉄扉を開ける。

そこは、永遠に降り続く錆びた雨と、原色のネオンサインが瞬く底辺の街。

アベルの純白の世界には存在しない、泥と欲望にまみれたノイズの海へと、一人と一機は再び足を踏み入れた。

何をパワーアップさせるのか。俺たちにとっての『最強の非合理』とは何か。 その答えを求めて――。

to be continude…

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