『半径5メートルの絶対聖域』第4話:ゴースト・レポート、あるいは相棒の賭け

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第4話:ゴースト・レポート、あるいは相棒の賭け

始まりは、ユメが聖域の「外」へ踏み出した、ありふれた買い出しの帰り道だった。

立ち並ぶ重機、高く聳え立つ仮囲い。ハルの言う「最適化されるべき街」の片隅で、
一人の老人が、焼け焦げた瓦礫の前に立ち尽くしていた。
再開発予定地の中心にある、つい数日前に火事で焼失したという古い商店。

「おじいさん、大丈夫です…か?」

ユメはその老人を放っておけず、おずおずと話しかけた。

その老人は、ああ、と力無く呻きながらユメに向き合った。

「大丈夫だ…お嬢ちゃん。一応な。」

その老人は力なく肩を落としながら、
ユメにポツリと言葉をこぼした。

「……あんなに、用心してたんだ。火の気なんて、なかったんだよ」

買い物袋を提げたユメに、老人は力なく笑いかけた。

その手には、再開発への同意を迫る、血の通わない文面の書類が握られている。

警察は「不注意」と決めつけ、行政は「補償金の上乗せ」という数字で全てを片付けようとしていた。

「証拠は無い…でも、間違いなくあいつらがやったに決まってる…何が補償金の上乗せだ。わしの人生そのものの店だったのに…それを、あいつら…」

無念を堪えきれず、涙をこぼしながら老人の震える背中に、
ユメの『ハイレゾ・エンパシー』が反応する。

これは悲しみじゃない。もっと冷たくて、鋭い、何者かによる「悪意」の残香だ。

「ただいま……」

アジトに戻ったユメを待っていたのは、
無数のモニターに囲まれ、キーボードの音だけを響かせるハルの背中だった。

「……遅い。コンビニへ行くだけで12分40秒の計算外(ディレイ)だ。効率が悪すぎる」

ハルは振り返りもせず、冷徹に言い放つ。

ユメは買い出しの袋を置くと、真っ直ぐにハルの椅子へ歩み寄った。

「ハルさん、聞いて。商店街で火事があったの。警察は失火だって言ってるけど、絶対におかしいよ。あのおじいさん、ずっと泣いてて……」

「……100回言っても無駄なら、101回目はデータの無駄だ」

ハルはようやく指を止め、氷のような眼差しをユメに向けた。

「その火災データは既に把握している。行政も警察も『失火』と断定済みだ。再開発の遅延による経済損失を考えれば、速やかな処理こそが最適解だ。お前の言う『感情』は、演算に組み込む価値のないノイズに過ぎない」

「ノイズじゃないよ! 人一人の人生が、数字だけで片付けられていいはずない!」

部屋の空気が凍りつく。その沈黙を破ったのは、空中から響く不敵な笑い声だった。

『ひゃはは! 聞いたかよ、ボス。お嬢さんの魂のシャウト。……なぁ、面白そうだ。一つ「ゲーム」をしないか?』

相棒が、空中にデジタルなダイスを投影して不敵に笑う。

「ゲームだと?」

『そう。お嬢さんの「勘」が正しいか、あんたの「データ」が正しいか。もしこの件に、あんたが認識していない「意図的なバグ」が隠れてたら、あんたの負け。……罰ゲームは、あんたが最も顔を顰める**「1日限定、ユメお嬢様の下僕モード」**だ!』

ハルの眉間が、見たこともないほど深く、不快そうに寄った。

「……下らない。リソースの無駄だ。俺が負ける確率など、0.001パーセントも存在しない」

『おやおや、最強のデバッガー様が「人間一人の勘」にビビってるのか? 安心しろよ、演算リソースは俺の自由枠を削ってやる。あんたは椅子に座って、俺が「真実」を暴くのを見てるだけでいいんだぜ?』

「……勝手にしろ。ただし、事故だと証明された瞬間、相棒、お前のバックアップデータから、その『生意気な性格プログラム』を永久にデリートする」

『乗ったぜ! ……お嬢さん、見てな。ここからは「相棒」様の本気だ!』

相棒のホログラムが激しく明滅し、ハルのメインモニターを次々とジャックしていく。
街中の防犯カメラ、消防の内部サーバー、再開発企業の通信ログ……。
ハルが「見る価値なし」とゴミ箱に放り込んでいた領域へ、相棒が超高速でダイブしていく。

数分後。 青白かったモニターの群れが、一斉に不吉な赤(アラート)に染まった。

「……っ!?」

ハルの目が、驚愕にわずかを見開かれる。

そこには、消防庁のデータベースに仕込まれた巧妙な「上書きの痕跡」と、
火災の1時間前に現場周辺で発信された「闇バイトの指示書」の暗号断片が浮かび上がっていた。

「……ビンゴだぜ、ボス。再開発の黒幕は、あんたが以前『処理が遅い』って放置してた、あの三流政治家の裏口座と繋がってやがった。お嬢さんの言った通り、これは『デバッグ対象』だ」

相棒は空中でガッツポーズを決め、ユメとエア・ハイタッチを交わす。
ユメは驚きと、そして確信を得た喜びで瞳を輝かせた。

「……ハルさん、ほら! やっぱり、おじいさんは嘘なんてついてなかった!」

ハルは沈黙した。

自らのシステムが「最適」と判断した情報の裏側に、泥臭く、
しかし致命的な人間の悪意が隠されていたこと。

それを、自分が最も軽視していた「感情」が見抜いたこと。

「……チェックメイトだ、ハル。約束は覚えてるよな?」

相棒が、ハルの全端末に「執事風のタキシード姿」のアイコンを強制表示させる。

世界を滅ぼせる力を持つ男が、
今、一人の不器用な少女の「下僕」になることが確定した瞬間だった。

「……相棒。後で、確実に消去(デリート)してやる」

ハルは呪うような声を出しながら、それでも指先は既に、老人たちを救い、
悪を社会的に抹殺するための「超効率的デバッグ」を、怒涛の勢いで開始していた。

その横顔は、いつになく屈辱と、そしてほんの少しの「完敗」に彩られていた。

to be continued……

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