『半径5メートルの絶対聖域』第3話:幸福の効率化、あるいは聖域の食卓

「……これが、SolunaProjectの全貌だ」

ハルの背後で、巨大なホログラムが音もなく展開する。

それは、無数の光の点が神経細胞のように繋がった「世界の縮図」だった。

経済の変動、紛争の火種、飢餓のデータ……。
地球上でうごめくあらゆる「不幸」が、
ここでは単なる「修正すべき数値」として可視化されている。

「この世界はバグだらけだ」

ハルの声は、冷徹な判決のように響く。

「無能な指導者、感情に流される大衆、利権のために停滞する技術。
それらが生む『非効率』が、年間で何億人もの人生を無駄にしている。
俺は、この世界をOSレベルで書き換える。
全人類の幸福度を、計算可能な最大値へとデバッグする。それが『幸福の効率化』だ」

ユメは、目の前に広がる光の海に圧倒され、震える声で尋ねた。

「……そんなこと、勝手に決めていいんですか? みんな、自分で選んで生きてるのに」

『ひゃはは! お嬢さん、そいつは幻想だぜ』

相棒(ホログラム)が空中で宙返りしながら割り込む。

『みんな「選んでる」つもりで、実はクソみたいなアルゴリズムや、その場の感情に踊らされてるだけだ。
ハルは、そのノイズを全部カットして、最短ルートで「正解」へ導いてやろうってわけ。神様より親切だろ?』

「俺に必要なのは、論理だけでは到達できない『人間の予測不能なバグ』のデータだ」

ハルが初めて椅子を回転させ、ユメを真っ直ぐに見据えた。

「お前は不器用で、論理的でもない。だが、その『揺らぎ』こそが、
俺の演算に欠けている最後の変数だ。
お前というノイズを観測することで、俺のデバッグは完成する」

ユメは言葉を失った。

自分という存在が、壮大な実験の「部品」として定義されたことに、
恐怖と、そして奇妙な諦めを感じていた。


数時間が経過した。 部屋にはキーボードを叩く乾いた音だけが響いている。

ハルは一歩もデスクから動かず、
モニターに映し出される情報の洪水と戦っていた。
彼の隣には、中身が半分減った栄養ゼリーのパウチが寂しく転がっている。

ユメは立ち上がり、おずおずと部屋の隅にある小さなキッチンユニットへ向かった。
そこには最新鋭の調理器具が並んでいたが、どれも一度も使われた形跡がない。

(……この人、本当に自分のことには無頓着なんだ)

ユメは冷蔵庫を開けた。
そして、その光景に絶句した。

「……何、これ」

中に入っていたのは、整然と並べられた無機質なアルミパウチのゼリー飲料と、
ラベルのないペットボトルの水。それだけだ。

野菜の欠片も、卵一つもない。
それは冷蔵庫というよりは、**「栄養素の保管庫」**だった。

「あの、ハルさん。食べるものが何もないんですけど……」

「必要な栄養素はすべてそこにある。一食あたり30秒で完結する設計だ。それ以上何を望む」

ハルはモニターから目を離さず、吐き捨てるように言った。

ユメはその背中に向かって、これまでにないほどはっきりとした声を上げた。

「……こんなの、食事じゃありません! 私、買い物に行ってきます!」

「待て。外はまだ――」

ハルの制止を聞かず、ユメはハルから渡されていた(あるいは隙を見て持ち出した)「聖域」の鍵を握りしめ、外へ飛び出した。 数分後、彼女は息を切らしながら戻ってきた。両手には、近くのコンビニで必死にかき集めてきた、卵のパック、出汁の素、そして小さな米の袋が握られていた。

『ひゃはは! ボス、見てなよ。あの不器用そうなお嬢さんが、
あんたの「効率」を真っ向から否定して、アナログな戦利品を持ち帰ってきたぜ!』

相棒の嘲笑を無視し、ハルはわずかに眉を寄せた。

やがて、冷たいコンクリートの部屋に、
トントンと小気味よい包丁の音が響き始める。

コンビニで買った安い食材のはずなのに、
そこから漂ってきたのは、ハルが何年も忘れていた、
暴力的なまでに温かい「家庭の匂い」だった……。

中にはハルが「効率」のために取り寄せたであろう、
最高級だが味気ない食材が並んでいる。
彼女は深呼吸をすると、慣れた手つきで包丁を握った。

トントン、トントン……。

静寂に包まれていた聖域に、小気味よいリズムが刻まれ始める。

ハルの指が、一瞬だけ止まった。

「……何をしている」

「……あ、えっと。お腹、空いてるかなって。どんなに世界を正しくしても、
お腹が空いてたら、きっと優しくなれないから」

「非論理的だ。空腹感は低血糖による生理現象に過ぎない。ゼリーで補完すれば――」

「それじゃ、味気ないですよ」

ユメは、不器用ながらも丁寧に火を通していく。

やがて、冷たいコンクリートの部屋に、
温かい「出汁」の香りが漂い始めた。

それは、この無機質な空間にはおよそ不釣り合いな、家庭の匂いだった。

「……できました」

ハルのデスクの端、モニターの光が届かない場所に、湯気が立つ一皿が置かれる。
黄金色に焼き上げられた、だし巻き卵。それと、ふっくらと炊き上がった白米。

『おいおいボス。あんたの鼻腔センサー、完全にジャックされてるぜ?
心拍数が0.8%上昇。これは「拒絶」できないノイズだな(笑)』

ハルは不機嫌そうに眉を寄せ、モニターから目を逸らした。

目の前にある「料理」という名の非効率な集合体。

それは、彼がどれだけハッキングしても書き換えられない、実体を持った「温もり」だった。

ハルは無言で箸を取った。 一切れ、だし巻き卵を口に運ぶ。

「…………」

咀嚼し、飲み込む。 彼の解析ログに、正体不明のシグナルが走った。

それは、どのアルゴリズムでも説明のつかない、胸の奥を微かに締め付けるような感覚。

「……味、どうかな?」

不安そうに見つめるユメに、ハルは一度だけ深く目を閉じ、再びモニターへと向き直った。

「……塩分が0.1グラム多い。修正しろ」

だが、ハルの箸は止まらなかった。
キーボードを叩く速度が、先ほどよりもわずかに、しかし確実に滑らかになっていた。

聖域の外では、今夜も無数の「バグ」が蠢いている。

だが、半径5メートルの内側だけは、出汁の香りと共に、不思議な安らぎが満ちていた。

to be continued……

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